Touching the Void その2

昨日に続いてこの映画(邦題:運命を分けたザイル http://unmei-zairu.com/)について語ります。このドキュメンタリー映画の優れた点は主役の二人、ジョー・シンプソンとサイモン・イェーツ自身にカメラの前で語らせたことです。カメラに眼を据えて本音で語る彼らの声に重ねて映像が示されます。ジョーの眼は澄んで、鋭く、こけたほおと日に焼けた顔は彼がまだ現役のクライマーであることを物語っています。サイモンも同様です。自己の当時25才と21才の若造(!)だった彼らも40才を過ぎた中年です。あのエピックを乗り越え、クライミングを実践しつつ、あの体験を自分なりに昇華させた上で語られた言葉に年輪の重みを感じます。年月を重ねた練達の語り手をえたことによりこの映画が原作を超えたメッセージを与え得たのだと思います。


 クライマーに共通した独特の風貌と体型、というものがある、と自分ではクライミングをやらないが多くのクライマーを見てきた私の妻が言っていました。岩場に行かなくなって久しい私がどのように見えるのか、気になります。


 この映画は中1の息子と見ました。「僕はハイキングでいいや」と言う彼が何を感じたのかはよくわかりませんが原体験として刻まれていることと思います。帰宅して山岳遭難について話していたら、息子がベテランアルピニストのSさんの話を持ち出しました。Sさんは私の友人Mさんの師匠格の方でMさんを尋ねてこられたので、私と小3くらいだった息子が伊豆の鷲頭山でのクライミングに同行して夕食までご一緒することになりました。Sさんはその1ヶ月後、カラコルムの偵察登山の最中に不幸な落石事故で亡くなられました。息子にとっては身近な人が死んでしまう初めての体験だったこともあり深く記憶に残っていたのでしょう。正直言って私は息子が一度会ったきりのSさんのことをそんなに覚えていたとは驚きでした。息子もこうやって大人に近づいて行くのでしょう。