山渓2006年3月号

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山と渓谷という雑誌、老舗なのだが私の中では登山雑誌では一番「軽い」という評価だった。しかし姉妹紙で硬派の「岩と雪」が廃刊になりそれを引き継ぐ雑誌もいまいちで、そのうち私も岩登りから遠ざかって山岳雑誌に目を通すこともなくなった。しかし空港での待ち時間で手にした山渓は違った。これまでとはうってかわったシンプルな表紙、特集=山野井泰史 垂直の記憶、と書かれている。これは永久保存版だ。

 山野井氏の特集で、主に彼の登山歴のまとめと彼が書いた記事の再掲なのだがまとめて見直すと改めて凄いなーと感心。彼と奥さんの妙子さんは2002年秋にヒマラヤのギャチュンカンで遭難し、生還するが凍傷で手足の指を失った。その事故の方に接した山野井氏の父上の文章に心打たれる。息子の遠征の度に覚悟はしておられただろうがそれでも事故の報に接して落ち着かない二日間を過ごされる。息子の葬式は仲間に便利なように東京で執り行おうか、などと妙なところにまで考えが廻っていたそうだ。遭難の報から2日後、生還の可能性のリミットで、しかし死亡確認の可能性が遙かに高い時点で受けた国際電話が生存確認の連絡だった。

 良い写真が満載だったが最も印象に残ったのは入院中の山野井夫妻のツーショット。両手に包帯を巻いて顔には凍傷、やせているがしかし目と表情は活き活きしている。すでに復活の準備が始まっているのだった。

 ところでこの記事の端々に出てくるMIさん、私が学生時代によく名張の岩場でご一緒した。ある時、「僕は東京に行く。あちらの方が山のパートナーが得られるから」と言い残し彼は関西を去っていった。もう十年くらい前に城ヶ崎で再会したときには「アラスカでカシンリッジにいった」といっていたっけ。彼はいまでも元気にやっているだろうか。

 そのほかにもこの冬の豪雪状況とその中での冬山のレポート、山の突然死の特集で登山が甘いものではないことを知らせている。山渓も本格登山誌に復活か、と思わせる充実ぶりだった。今後に注目。