Flags of Our Fathers

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James Bradley, Ron Powers

 「硫黄島からの手紙」の映画では「散るぞ悲しき」で描かれていたような栗原中将の人となりや戦闘の様子が十分説明し切れていなかった。限られた上映時間で伝えるべきメッセ−ジを絞るためには致し方ないことだろう。そこで「父親達の星条旗」映画版を見損ねてしまったのを機会に、次に観るチャンスが巡ってみる前に原書をペーパーバックで読んでおくことにした。
 すでによく知られている様に、本書は第二次大戦中の米軍による硫黄島上陸作戦三日目にして擂鉢山に星条旗を掲揚する有名な写真に写った米兵達を追うことでアメリカの戦争への関わり方を描いた作品だ。ペーパーバックで500ページを越える分量は英文に慣れていない身にはヘビーだ。まず始めに国旗を掲揚した兵士達(flag raisers)6名の生い立ちを丹念に説明する。ピマ族のIra Hays、フランス系のRene Ganon, チェコ・スロバキアで生まれたMike Strankなどの移民やアメリカ先住民の子供達が徴集され海兵隊に入隊する。次にほとんどがティーン・エイジャーで分別も何も知らない子供が軍隊に放り込まれ厳しい訓練を経て兵士として改造されてゆく過程が示される。

Aware that the American indivisualistic ethic did not lend itself to easy subordination, the military designed the basic training as "intensive shock treatment", lendering the trainee "helplessly insecure in the bewildering newness and complexity of his environment." Individuals had to be broken to powerlessness in order that their collectivity, thir unit, become powerful.

軍隊はアメリカ的な個人主義は兵士に必要とされる絶対服従の邪魔になることを良く自覚していたので、軍隊の基礎的な訓練はまず兵士が一人では何も出来ないと感じるまで激烈をきわめた。個性は絶対的な無力感を懐くまで徹底的に破壊され、それから改めて強力な集団として構築されていった。

The purpose was to break you down, and then rebuild you as the person the Marin Corp wants...

目的は人格を徹底的に破壊しつくし、それから海兵隊の求める人材に作り上げることだ。

The erasure of individuality would create malleability to disciplin. Repetitive action would instill automatic response for which the service strove.

 個性を消し去ることで規律に従順になり、反復的な訓練は軍事行動に必要な反射的な反応を可能にする。

 などなど。兵士の絶対服従させるための「個性の消去」がアメリカでもやはり行われていたのだ。

 一方で同年代の兵士達の間での仲間意識の醸成が図られる。戦闘の場では仲間のために敵を殺し、仲間を救うために命を差し出す。友情と犠牲を美徳とすることで軍隊は一体性を保つのだろう。

 そして硫黄島上陸作戦。圧倒的な兵力を持つ米軍に対して日本軍は最初から勝利を捨てて抵抗のために戦闘に徹する。米兵の側からの戦闘シーンは勇敢に戦う兵士と仲間を救うための自己犠牲の行為、などが語られる。しぶとく戦う日本の「サムライ」や西欧的な戦闘のルールに従わない日本兵士の「卑怯な」戦い方などが延々と記述される。そして三日目にして攻略した擂鉢山での国旗掲揚の経緯。いくつかの偶然が重なって撮られた国旗掲揚シーンとたまたま被写体になった6名の兵士。それらのうち3名は引き続く戦闘で写真を見ることなく戦死。

 この部分はアメリカのヒロイズムに酔ったような記述*1国旗掲揚に対するアメリカ国民の過剰な反応に辟易してしまった。なるほどクリント・イーストウッドもそれを感じて日本軍側からの映画を撮ろうと思ったのだろう。至極まっとうなバランス感覚だ。

 そして生きて帰還した三名の兵士が軍事国債の募集のために「硫黄島の英雄」として祭り上げられアメリカ中を巡業して周り、平時の国家予算を軽く上回る売り上げを稼ぎ出す所に移る。戦闘のトラウマが兵士を襲い人格が壊れていく者も多い。無理もない、人格形成の途上の若者が人格を否定することから始まる軍事訓練を受け、いきなり大人の世界に放り込まれ、金のために利用された訳だ。

 後半はこのような悲しい話が続くのだが私にとってのクライマックスは最終章だった。作品前編を通じて大きな謎として提示されていたのはJack Bradleyが後年硫黄島のことをほとんどまったく人に語らなかったことだ。彼は硫黄島のことを家族にさえほとんど語らず、インタビューの依頼もことごとく断って一介の市民として生涯を終えた。しかしこれは単に戦争のトラウマとばかりは言えない。James Bradleyは極めて堅実に働き模範的な市民として街の人々から尊敬を集めていたそうだ。プライベートでも円満な家庭を築いていた。わたしは息子であり作者のJohn Bradleyはあまり日本のことを知らない人だと思っていたのだが*2。しかし実は彼James Bradleyは19才で日本に留学し、東アジアには関心の高い若者であったことが明かされる。しかもJamesが自宅に呼んだ日本人の友人を Jack Bradleyは暖かく歓迎したという。この様に外見的には申し分ない人物であったのだが内面には大きなトラウマを抱えていた。Johnが東京に住んでいたころ、彼は父母を日本に招待したが断られた。その理由をJackは一度だけ漏らしたそうだ。父の親友Iggy (Ralph Ignatowsky)は日本軍に捕らわれて拷問を受けて殺害された。父はその詳細をほとんど語らず、Iggyの両親には「彼は安らかに死んだ、何も感じなかった」と嘘をついたらしい。しかし実はIggyの遺体の状況からするとすさまじい拷問だったらしい。その姿を見てしまったJackのトラウマは深く、その後硫黄島の出来事を語らず、忘れ去ろうとした原因だとJohnは示唆している。

 戦場ではどんなことでも起こりうる。追いつめられた日本兵が捕虜に行った行為を今更糾弾することにも意味はない。Jackは自分の経験を忘れ去ることでトラウマを処理しようとしたらしい。しかし心中の葛藤を押し殺して無邪気な息子を自由に日本に留学させたJackの度量に作者は深く感謝していた。

 最後に。硫黄島の戦いは米軍側にも大きな損害を与えた。アメリカの圧倒的な兵力をもってじっくり攻めれば損害を少なく硫黄島を攻略することは出来たのではないかと思う。あの小さな島を占領するのに米軍側に7000人もの死者を出したのは戦略的には失敗だ。硫黄島攻略の裏には海軍と海兵隊との不協和音があり、功を焦った海兵隊が海軍からの十分な援護なしに攻め入って予想外の抵抗に手こずったというのが実情のようだ。擂鉢山の星条旗はその失敗を粉塗するための絶好の道具だったのではないか。理想的な構図で撮られた一枚の写真が戦略上のミスを打ち消し、国旗に反応するアメリカ人を鼓舞し大金を生む打ち出の小槌になる。写真の力の凄さと共に写真のイメージに踊らされる国民の愚かさを批判する作品、と私は読んだ。

*1:逃げ腰の不名誉な兵士は一人たりとも出てこない!

*2:これはここに至るまでの記述が日本兵に対して「サムライ」や「万歳攻撃」などの表現を多用して狂信的な国民というステレオタイプなイメージを与えていたことからだ。「勇敢なアメリカ兵」を称えるためでもあろう