発生学会@徳島 その1

 前日の若手セミナーから参加したが活発な議論が多く交わされて面白かったです。出席した感想を書き残しておきます。

英語化について

 国際発生生物学会(ISDB)との共催で行われ、講演はすべて英語で行われた。事前には参加者が減るのではという危惧もあったそうだが十分な参加者が集まった。一般講演には緊張感が感じられ、英語化は良い方向に作用していたと思う。もちろん質疑応答で行き詰まるシーンは見られたがこれからの課題として気長に見守ってゆけばよい。学部学生が主体の大学の方々には特に英語化への躊躇があったようで、学生がついていけないという不安も根強いようだ。しかし今後の10年を考えてみよう。アジア諸国でも生命科学に力を入れているシンガポール、インドは英語で研究を行って、有力な人材と指導者を得ている。これから力を増してくる中国も欧米で活躍している豊富な人材が帰国すればますます実力を増していくことは明らかだ。なので日本が国際競争力を維持するために人材と、知的交流を深めるためには海外の研究者を訪問させて日本のサイエンスの実力を理解させ尊敬を勝ち得なければいけない。そのためにも英語を基本言語にすることは絶対に必要だ。

 ドイツ・フランスでもこの10年あまりの間に研究機関での公用語が自国語から英語に切り替えが進んでいる。誇り高く、未だに反英・反米感情が強いフランス人が英語を公用語にすることは彼らにとっても重い決断なはずだ、またドイツにとっては日本人と同じく英米はかつての敵国である。そんなしがらみを捨てても研究面でのメリットは優先されるのである。確かに日本語での議論には安心感があり、私も日本人同士ならポスターでは日本語を使う。しかしそんな中からでも英語でのやり取りをやせ我慢してでも続けるべきだと思う。このやり方を5年間続ければ大学院生活を英語での学会で過ごして学位を取る世代が出てくる。そうなればもはや後戻りする理由などなくなるだろう。

 日本語でなければ出来ない研究は自然科学分野には存在しない。日本語でも良いサイエンスが出来るのは当然なのだが良いサイエンスは世界的に認められてこその真価が輝くのであり、同じ価値の研究ならvisibilityがある方が良いのである。世界的に認められずに損をしてきた研究の話をよく聞く。ぼやくだけなら良いが公的資金をいただいてやった研究成果なのだからちゃんとアピールして認めてもらわなければ投資効果が少ないと認定されかねない。内輪の居心地の良さに甘んじて国際的認知度を下げてしまい研究費の縮小を招いては次世代に対する責任を果たすことにはならないのだ。