空気人形

 是枝監督作品を見るのは三作目.前二作が名作だったので期待して見に行った.お話はダッチワイフ(ラブ・ドールと呼ぶらしい.確かにオランダ人が怒るでしょう)が心を持って、街を歩き回り様々な人々とふれあうという筋書き.荒唐無稽なストーリーで鑑賞中は今一つ中に入り込めなかった.思うに人の心を持った人形が性の玩具としての役割を超えて若い女性(ちょっと幼児的な)として振る舞うところに違和感を感じたのだと思う.映画の設定から判断してもてあそばれる玩具の立場から人間を見た批評精神を期待していたのだと思う.しかし実際は人間に同化しようとしてかなわない玩具の悲しさがテーマだった.設定は奇抜だが「人間になりたい」というテーマはペットを主人公にした無数の作品や、人魚姫から妖怪人間ベムに至るまで古典的かつ普遍的なテーマだ.実を言うと上映中何度も席を立ちたくなるのを我慢してなんとか最後までたどり着いた.

 しかし一日、一週間と経ち、映画の断片を思い出しつつ他の人の映画評を読んだりしているうちにじわじわと感傷がわき上がってきた.是枝監督の優れたところは市井の人々の何気ないエピソードをほろ苦く描くところにあると思う.今回も人形の持ち主の自宅と職場での振る舞いの落差、ビデオショップの主人の生活のわびしさ、街を徘徊する老女、悪役の交番の警官、独居老人などのシーンが断片的に脳裏を駆け巡り鑑賞直後にはなかった感慨が満ちてくるのだ.もちろんペ・ドゥナのキュートな姿と台詞は魅力的.韓国の女性が日本語を話すとなぜかあのようなたどたどしく可愛らしい言葉遣いになるのだ.

 台湾のリー・ビンビンという撮影監督が操るカメラも素晴らしい.撮影者にとっては異国である東京の風景が撮影のツボを刺激するのかもしれない.日本人の監督が東京を舞台にして台湾人のカメラマンに韓国人の女優を撮らせる.それも設定が人形だ.あり得ない設定であり得ない組み合わせのスタッフから生じる化学反応でこの作品は生まれた.がそういえば私もカメラを使うのは海外旅行ばかりになっている.自分とは違う世界のひととふれあう事が本作品を通じるテーマのようだ.

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 もう一つ印象に残ったシーン.ペ・ドゥナの人形が心を持った事を知った持ち主の板尾創路は即座に拒絶する.彼は自分の言葉と行為を黙って受け入れるだけの人形が欲しいのであって生活のパートナーを欲していた訳ではなかった.底なしの孤独というのは他人からの癒しを求める事すら忘れてしまう事なのか.