僕たちの失敗

この7月に名古屋で行われた発生生物学、細胞生物学会の合同年会の企画「僕たちの失敗」に参加した。これは研究をそれなりにやって、もう「あがり」の研究者に過去の失敗談を振り返ってもらうという機会である。仕掛け人の近藤滋氏からそのような説明を聞いたのはだいぶ前のこと。6月ごろようやく企画が固まったとの連絡を聞いて驚いた。ノーベル賞の声がかかる今でも研究室率いてやってる人などばかりである。これでは成功自慢大会ではないだろうかと思って「え、なにこれ?」という反応をしたら、近藤さんから「ちょっと話そう」という返事がすぐ来て説得されて、しぶしぶそのまま参加と言うことになった。当日の会場は立ち見が出るほどの盛況で参加者の関心が高いことがわかる。しかし、「これでは失敗談ではなく、自慢話ではないか」と言う陰口もちらほら聞こえていた。

 で、いよいよ開場。話題提供者は私を含めて6名。他の方の話を聞くと、二つのパターンに分かれることがわかる。パターン1。偉大な指導者のもとで育ち、ボスに認められるべく努力をした結果、私は成功したと言うものである。これは近藤さんにとっての本庄先生であったり、Aさんにとっても岸本先生である。ボスを見返そう、認めさせようとするモチベーションが研究を力になったとのストーリーである。パターン2はライバルとの戦いである。これはN野さんにとってゴルジ論争であったり、Mさんにとってもライバルとの戦いが研究を高めた。学会や様々な場所で緊張感のある対決をして、それに勝ったんだと言う強い成功体験だ。いずれのパターンにも少年漫画の世界感に通じる物語がある。最初からあったのか、後付けなのかはわからないが。

 ひるがえって自分はどうだろう。自分は大した成功もしていない。しかしボスによって強く圧迫された事は、ついぞなかった。この経験のおかげで、自分のラボメンバーに対しては彼らを否定するような言動や振る舞いをすべきではないと戒めてきた。自分にライバルがいたかと聞かれると、あるテーマごとに競合する人たちはいた。しかしガチンコで競争する前に路線を変更することの方が多かったと思う。他の人たちがこういうことをするんであれば、自分があえてそのような同じことをする必要は無いんじゃないか、自分にとって本当になすべきことを見つけることを心がけた。その結果だろうか。自分は競争に勝って成功したと言う体験はなく、むしろ人とは違う路線に向かい、評価されにくい立ち位置に身を置くことの方が多かった。メインストリームの研究であれば、その研究内容が一直線に並び、ゴールを争う百メートル競争のようになりがちで、評価軸はスピードに置き換えられる。一方で、研究者が少ない唯一の研究であった場合、広い裾野のなかで研究の評価が短期間では定まりにくいところがある。では、そういう研究の選択は間違っているのか?いやそうではない。未開の領域に踏み込むことこそがオリジナリティーである。AIとロボットが研究する時代がすでに到来している。いまこそデータベースにないテーマを発見して最初の記述を行うことが人間に残された責務ではないだろうか。こんなことを思いながら企画を振りかえっている。

 

 正直言ってこの企画は自分にとっては居心地の悪いものであった。しかしここで感じた。違和感こそが自分が何をなすべきかを教えてくれる、よい気づきの機会にもなった。その点で主催の方々には感謝している。

https://pub.confit.atlas.jp/en/event/jscbjsdb2025/session/2216-16