遠きにありて想うもの

 今日の午後は時間が空いたのでしばらく論文書き。しかしなかなかはかどらないので散歩することにした。近くのモールを歩いたが高級ブティックが立ち並びおよそ私の知るアメリカらしくないところだ。貧富の差が激しい国だが世界で唯一の超大国として庶民の生活もあがったのだな、と実感した。しかしそれは日本とて同じことだが。


 私がアメリカに留学したのは27才の時だ。日本の暮らしに閉塞感を感じて、自由の国アメリカにあこがれていた。研究をして給料までもらえる(!)という恵まれた条件で、おまけにクライミングしながら研究できるというふざけた(!!)理由でロッキー山脈の麓にあるボウルダーという街を選んで、学位取得後に間髪をおかず4月1日に旅立ったのだった。いつ日本に帰ることができるのか具体的なこともわからず、しかしとりたてて不安もなかった。おそらくは思慮が欠け、礼儀を知らず、自分勝手な、今の私が毛嫌いするような若者だったのだと思う。


 アメリカの暮らしは期待通り公私ともに楽しく過ごした。アメリカ人流の遊び方にあわせて休みはしっかり取ってクライミングやスキー旅行も幾度となく行った。3年と3ヶ月が過ぎ、縁あって理解ある方のお誘いをうけ、日本に帰ることになった。そして日本で根を張って暮らすことになってから久しくなる。


 今回アメリカに来て感じたのはやはりこの国はおおらかでよそからの人々をおおらかに迎えてくれる国だということだ。しかし一方で私はこの国に骨を埋めることはないだろうし、日本に戻れて本当に良かったと思う。なぜなのか、それは異国で過ごした3年あまりの間に「日本人であること」を、他人からも、そして自らにも問われ続けた解答だからだ。


 自分のキャリア形成の大事なとても時期にかけがえのない経験を与えて私を育ててくれたアメリカという国には本当に感謝している。しかし私からできるお返しはアメリカに骨を埋めることではなく、海の向こうからの批判と貢献を通じてできるものだと思っている。