千夜一夜

 

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失踪した男を待ち侘びる二人の女。30年前の新婚時代に夫が突然いなくなった登美子は、再婚を求める幼馴染とそれを勧める周囲の期待を拒絶し、漁港の加工場で働きながら夫を待ち続ける。看護師の奈美の夫は、理科教師を務めていたが、春休みに入ると同時に姿を消した。2年前のことだった。この二人が待つことへの接し方が映画のテーマ。奈美は登美子を訪ねて夫探しの手伝いを依頼する。引き受ける登美子は頼もしい。しかし自宅の登美子は夫が残したカセットテープで若い頃の夫婦の会話を繰り返し聴き続ける。登美子の時間は彼女が若く、美しく幸福だった頃から止まっている。自分の母と、夫の母が次々と亡くなることが年月と老いを象徴する。登美子が待つ行為は自分の老いを拒絶し、美しかった過去に止まる行為だ。一方で奈美は夫と離婚して新しい家族を作ることを選ぶ。過去は精算し、未来に向かうことが奈美の選択だ。二人の女の選択は対照的だが、その違いは待つ時間で決められたのだろう。長く待ちすぎた登美子はやり直す機会を逸し、過去に止まることで自分を納得させるのだと思った。

 舞台は佐渡島北朝鮮からの不審船が現れ、拉致が頻発する。その緊張感を背景に置いてと不安感を催させる。観るものに多様な解釈をさせる余地を残した作品。くたびれた老女を演じる田中裕子は終盤に近づくにつれて活力を見せるようになる。さすがの演技力。

 

Science Will Win

動物種間の競争に勝利して地球を制圧した人類にとって、最大の脅威は感染症だった。都市が発達するとその環境に乗じて様々な病原体が進化した。人口の増加とともに感染の規模は拡大し、国境を跨ぐパンデミックが繰り返された。ワクチンは生体に備わった免疫機能を刺激することで特定の病原体への抵抗力を増強させ、感染症を抑制する。天然痘免疫を実用化したエドワード・ジェンナー、狂犬病ワクチンのルイ・パスツール、ポリオワクチンのヨーナス・ソークらは科学史における英雄だ。2021年、Covid19に対するmRNAワクチンの開発と普及では新たなヒーローが生まれた。
 2019年末から始まったCovid19の蔓延を受けて大手の製薬企業はワクチン製造に邁進した。その中でファイザーはドイツのベンチャー企業Biontechが開発した新規技術のmRNAワクチンをCovid19に対して緊急開発し、ウイルス発見より一年も経たないうちにワクチンを市場に供給し、一部の国では既にウイルスを制圧しつつある。このYoutube動画はナショナルジオグラフィックが作成したワクチンが市場に出るまでの舞台裏を描いたドキュメンタリーだ。ファイザーがスポンサーしているので宣伝ビデオともいえるがその点を割り引いても一見の価値がある。
 光速のスピードで開発に成功した第一の決め手はもちろんBiontechのmRNAワクチン技術だ。病原体のゲノム配列がわかればワクチンをデザインできるため従来の病原体を増殖させて、不活化してワクチン化する従来の手法に比べて圧倒的に早く、安全である。それに加えて巨大企業のファイザー首脳陣によって常識外のスピードアップが図られた。従来は小規模の開発を進めて見込みが出たら安全性を確保しながら生産、認可に向けて進む戦力の逐次投入策だったところを、まず生産拠点を建設、複数のワクチン候補を並行して作成し安全性、有効性から一種に絞る。早くも夏前には4万人規模のphase 3治験を開始。世界規模のCovid19蔓延地域をカバーする4万人以上の治験が7月から始まった。白人層ではボランティアを求めることは容易だったらしいが、人種別のデータをとるには欠かせない有色人種(黒人、ラテン系)での治験が難しかったらしい。現代医療の恩恵に俗することが少ない貧困層では先端医療への信頼は乏しかったのだ。しかし日本で1万人を超える治験が考えられなかったことからすると新薬に対する要求が高い我が国でも治験に対する理解が高いとは言えない。これには報道の責任が大きいと思うが。
 ワクチン作成は科学大国アメリカの国策だった。ファイザーCEOでAlbert Bourlaがアメリカ(と世界)を背負っているという意識は彼が繰り返して述べている”Failure is not an potions”*1という台詞からも明らかだ。トランプ大統領は政府主導でワープスピードの開発を促進するとぶち上げたがAlbert Bourlaは政府の介入を嫌って国費の投入を断り、自己資金で開発を進めた。
 このビデオのハイライトは治験の結果を集計してワクチンの効果を確認するところだ。判断の中立性を保つために社の経営陣は分析に関わらず一室に集まって結果の報告を待つ。社運と人類の将来をかけた結果を待つのは気が気ではないだろう。そこにカメラが入って撮影する。”You know…….…… We made it!”, “More than 90% efficacy. Oh my god!”ハッピーエンドに終わったからこそ公開される映像だ*2。この結果を受けて直ちにFDAに対して緊急の認可を申請、12月中旬に正式許可が出るとすぐさま出荷がはじまった。ということは治験の結果が出るまえからすでに生産拠点を整備し、数千万人分のワクチンの製造を開始し、冷凍品のワクチンの輸送態勢を整備していた事になる。通常は数年かかるワクチン製造を1年以内に終えるために開発、生産、治験の体制を同時並行で進めたところに成功の第二の決め手があった。Science will winをキャッチフレーズとする企業が成功したことは素直に喜ばしい。ワクチンのデータを狙ったサイバー攻撃を避けるためデータ管理は厳格を極め、FDAへの提出はオンラインでなくワードディスク持参で行なわれた。
 感動的な話だが、これはあくまでファイザーの側の物語だ。Biontechの側の登場人物は限られ、mRNAワクチンの基礎研究に費やされた20年以上の苦労には言及が無い。これからさらに大きな物語が綴られ、書物や映画の形で見られる事になるだろう。楽しみな事だ。

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*1:アポロ計画のスタッフでアポロ13号の生還を指揮したジーンクランツの台詞で有名になった

*2:アルツハイマー征服」にも似たシーンが出てくる

A Promised Land

オバマ元大統領による回顧録。自身の著書を本人が朗読する。発声は明晰で力強い。彼の若い頃の回顧から、上院議員になり、一期で大統領選に出馬し、そのまま当選しホワイトハウス入り。その彼の大統領第一期目の記録。大統領当選直後のリーマンショックオバマケアなどの裏話を大統領本人の言葉で聞けるのはとてもよい。しかし当然のことながらあらゆることはオバマの一人称で語られており、様々な政策決定においてどのような選択肢があり、政策スタッフや多くのアドバイザーの意見の対立し体験がどのように検討されて決定に至ったのかは充分には説明されていない。もっと政権の中での議論の仕方を書いてほしかった。この点はトランプ政権の補佐官だったJohn Boltonが政権スタッフへの皮肉も交えて書いたThe Room Where It Happenedに軍配が上がる。海外首脳へのメンションでは英国のカメロン首相、ドイツのメルケルなどが頻繁にメンションされる。残念ながら日本の首相は「日本の首相は短期で交代を繰り返す。今の首相はちょっとおかしな人物だ」と言った短文で済まされている(「トラスト・ミー」の鳩山首相の事である)。むしろ平成天皇に会ったときの印象の方に天皇個人と彼が背負う歴史の重みへの敬意が表れていた。本書のハイライトは2011年のビンラディン暗殺だ。オバマにとっても困難だった第一期での顕著な成果と自負しているのだろう。従軍の経験なしに、米軍の最高指揮官を務める批判へ答えたいとの意味もあるだろう。再選を目指す動きの中にトランプが登場して次作へのプロローグとしている。

★★★☆☆

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Bad Blood

2018 6 18にFBに投稿した記事。現実と妄想の境界がなくなった人の話

黒い衣装の若い経営者が低い声で真っ赤な嘘を吐く
注射針を静脈に差し込んで何回も採血する血液検査は痛くて、針に対する恐怖心を引き起こす。注射針が嫌いな野心家の学生が始めた血液検査法は指先からの微量の採血で多項目の検査を行う技術を標榜し、「痛くない血液検査」を売りにしたスタートアップ企業となった。このアイデアを持ったエリザベス・ホルムスはスタンフォード大学の工学部に入学後に大学をドロップアウトして若干20才で会社を興し、彼女の会社Theranosは出資者を集めてシリコンバレーで注目を浴びるバイオベンチャー企業としてのし上がった。アドバイザーにはヘンリー・キッシンジャーウィリアム・J・ペリージョージ・シュルツなど歴代政権の大物政治家や陸軍の重鎮ジェームス・マチスなどそうそうたる顔ぶれを集め、莫大な出資を得て血液検査技術の開発を進めた。
 Theranosの基幹技術は従来よりも微量の血液で多数の検査を行う検査機の開発を標榜していた。しかしその実体は当初の微小流路を用いた方法に失敗し、小型ロボットに移行したものの問題が山積し、結局ドイツ企業シーメンスから購入した既製品の検査機器を使っての検査に頼らざるを得なかった。しかしこの実体は企業秘密として隠蔽され、出資者と顧客にはあくまで新規の検査技術を謳っていた。正式な科学技術の訓練を受ける前に大学をドロップアウトした学生には基幹となる技術を生み出す技術と能力など最初から備わっていなかったのだ。
 ホルムスには人を魅了して信じさせる魅力があったとされる。その秘密は女性にしては並外れた低音のボイス、まばたきせずに相手をじっと見つめる瞳、そしてステーブ・ジョブスを真似た黒ずくめの衣装。これだけで百戦錬磨の政治家や企業経営者が騙されるとは信じ難いのだが実際彼女が話す現場では一瞬にして耳目を集めさせるカリスマがあったというのだ。ある日の役員会で彼女の運営が問題視されCEOを退任させるという動議が出された事がある。そこに乗り込んだホルムスは年上の役員たちを説得して動議を撤回させた。一体どのような力を持って場の雰囲気を変えたのだろうか?彼女のTEDトークをみてもよくわからないのだが、有名大学からドロップアウトした事を逆手に取り、Bill GatesやMark Zackerbergにみ立ててはやし立てたメディアの後押しや、聴衆の期待が彼女をカリスマに仕立て上げたのだろう。人を説得する事に関して類いまれな能力を持っていたようだが、根拠のない確信は周囲を振り回して大惨事を引き起こした。
 Theranosの運営に危惧を抱く人も多くいた。陸軍の軍医はTheranosの提案を検討を技術的な根拠が乏しいと見切ったが、その上司だったジェームス・マチスはそれでもTheranosの役員を務めた。Theranosの検査担当者だったタイラー・シュルツは検査の不正確さと広報の嘘を危惧し、退職してから祖父であるジョージ・シュルツレーガン政権の国務長官)に警告を発した。しかしジョージは聞く耳を持たずホルムスを支持し続けた。専門家の意見に耳を貸さずに騙され続ける人たちはどこにでもいるものだ。
 もう一つ不思議なのは彼女自身がTheranosの技術を信じていたのかと言う事だ。さまざまな隠蔽工作を指示していた事から世間に知られてはまずい事をしているという認識がホルムスにはあった。彼女は自分の抱いた夢を見続けて、それが実現されない現実から目を背けて、嘘と真の区別がつかないままに自信たっぷりの演説を続けたのだろう。自分には信じられない話だがそう言う人はいるものだ。アメリカンドリームの負の側面が表れた事件だった。徹頭徹尾嘘で固めた人物があそこまでのし上がる事を許したアメリカの風土、大衆、メディア、経営者たちを分析する事で有用な教訓を与える一冊。Audibleでコンプリート。
 

論文査読を断った

自動発信でレビュー依頼が送られてきたのを断る事にした。

その理由は以下のとおり(一部詳細を削った)

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Dear Editor,
I am sorry to say that I can not review this manuscript for the third time.
I replied (Feb xx xx:xx JST) to the previous review request from xxxxx as follows:

“Hi xxxx,
Although I do not know every conversation between authors and editors, I believe this request is to review a “second” major revision. Since you stated that "Jornal name" allows only one round of revision, I would like to know the reason how you reached to take the exceptional decision to go though the second major revision. ”.

The decision to accept or reject is exclusively up to editors, not reviewers. As many authors and editors, I do not want to participate in an endless cycle of revision and review. In the last review to their revised manuscript, I made one point they should address. I believe I have done enough for this review and experienced editors can judge if the authors' response is sufficient or not. So I leave the final verdict to the editor.

Sincerely,

Shigeo

アルツハイマー病克服への長い道のり

 
日本発第一級のノンフィクションの誕生。超高齢化社会において認知症は当たり前の病気、というよりは症状である。どのようにしたらぼけずに健康な人生を全うできるかは高齢者だけでなくこれから年を重なる若い人にとっても大きな関心事だ。認知症の6割を占めるアルツハイマー認知症は遺伝的な要因が強いため原因究明と治療法の探索が進んでいる。とは言っても病の進行は緩やかで長期間のケアを要し、生検ができない脳の病気なので診断は記憶のテストや行動記録と脳血流の検査など間接的な方法に依存する。過去30年間、学会に行くと必ず目にするアルツハイマー病の研究課題だがいつまで経っても答えが見えてこない。アミロイド沈着という明確な病理指標があるもののそれが原因なのか、結果なのか、アミロイドを抑制すれば病気は治るのか、それとも標的は他にあるのか?アミロイドを主犯とする説と単なる遺留品とする説が入り乱れて原因究明も創薬の方針も揺れてきたようだ。
 本書はアルツハイマー病の研究と治療薬開発に関わる研究者と患者による現在進行形のエピソードを綴った記録だ。短くまとめられた章は関係者からのインタビューと原著論文、治験の記録など極力一次情報に当たって書かれており、これらのトピックが積み重ねられる事で大きな物語になるように構成されている。取材の対象は、家族性アルツハイマー病の一族、医師・研究者、そして製薬会社と創薬ベンチャーだ。特に創薬の項は巨額の開発費をかけた新薬が治験で次々と脱落する厳しい道のりを描いて興味深い。治験において暗号化された薬剤と偽薬群と治療結果のデータはコードブレイクするまで関係者が見ることはできないという厳しい規定で厳密性が守られている。社運を背負った関係者にとっては生きた心地がしないだろう。アルツハイマーの進行を遅延させる薬として大ヒットしたアリセプトを開発したエーザイは次世代の抗体薬アデュカヌマブの開発を米国バイオジェン社とすすめているがその成否はまだわからないままに本書は終わる。
 著者の下山進さんは文藝春秋社でノンフィクションの出版に関わった後で作家活動に入ったらしい。米国留学経験が本書の海外取材にも生かされている。
 
青木 薫 さんの投稿に触発されて一気読み。
 

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父と暮らせば

宮沢りえ原田芳雄の共演という以上の認識がないままに見た作品。井上ひさしの戯曲に基づいており、映画作品と言うよりも二人芝居だ。原爆で亡くなった父が幽霊になって娘につきまとい、交際の世話を焼く。彼の好意を受け入れられない娘が最後に吹っ切れて笑顔を見せるところで終わる。名作。

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