Science Will Win

動物種間の競争に勝利して地球を制圧した人類にとって、最大の脅威は感染症だった。都市が発達するとその環境に乗じて様々な病原体が進化した。人口の増加とともに感染の規模は拡大し、国境を跨ぐパンデミックが繰り返された。ワクチンは生体に備わった免疫機能を刺激することで特定の病原体への抵抗力を増強させ、感染症を抑制する。天然痘免疫を実用化したエドワード・ジェンナー、狂犬病ワクチンのルイ・パスツール、ポリオワクチンのヨーナス・ソークらは科学史における英雄だ。2021年、Covid19に対するmRNAワクチンの開発と普及では新たなヒーローが生まれた。
 2019年末から始まったCovid19の蔓延を受けて大手の製薬企業はワクチン製造に邁進した。その中でファイザーはドイツのベンチャー企業Biontechが開発した新規技術のmRNAワクチンをCovid19に対して緊急開発し、ウイルス発見より一年も経たないうちにワクチンを市場に供給し、一部の国では既にウイルスを制圧しつつある。このYoutube動画はナショナルジオグラフィックが作成したワクチンが市場に出るまでの舞台裏を描いたドキュメンタリーだ。ファイザーがスポンサーしているので宣伝ビデオともいえるがその点を割り引いても一見の価値がある。
 光速のスピードで開発に成功した第一の決め手はもちろんBiontechのmRNAワクチン技術だ。病原体のゲノム配列がわかればワクチンをデザインできるため従来の病原体を増殖させて、不活化してワクチン化する従来の手法に比べて圧倒的に早く、安全である。それに加えて巨大企業のファイザー首脳陣によって常識外のスピードアップが図られた。従来は小規模の開発を進めて見込みが出たら安全性を確保しながら生産、認可に向けて進む戦力の逐次投入策だったところを、まず生産拠点を建設、複数のワクチン候補を並行して作成し安全性、有効性から一種に絞る。早くも夏前には4万人規模のphase 3治験を開始。世界規模のCovid19蔓延地域をカバーする4万人以上の治験が7月から始まった。白人層ではボランティアを求めることは容易だったらしいが、人種別のデータをとるには欠かせない有色人種(黒人、ラテン系)での治験が難しかったらしい。現代医療の恩恵に俗することが少ない貧困層では先端医療への信頼は乏しかったのだ。しかし日本で1万人を超える治験が考えられなかったことからすると新薬に対する要求が高い我が国でも治験に対する理解が高いとは言えない。これには報道の責任が大きいと思うが。
 ワクチン作成は科学大国アメリカの国策だった。ファイザーCEOでAlbert Bourlaがアメリカ(と世界)を背負っているという意識は彼が繰り返して述べている”Failure is not an potions”*1という台詞からも明らかだ。トランプ大統領は政府主導でワープスピードの開発を促進するとぶち上げたがAlbert Bourlaは政府の介入を嫌って国費の投入を断り、自己資金で開発を進めた。
 このビデオのハイライトは治験の結果を集計してワクチンの効果を確認するところだ。判断の中立性を保つために社の経営陣は分析に関わらず一室に集まって結果の報告を待つ。社運と人類の将来をかけた結果を待つのは気が気ではないだろう。そこにカメラが入って撮影する。”You know…….…… We made it!”, “More than 90% efficacy. Oh my god!”ハッピーエンドに終わったからこそ公開される映像だ*2。この結果を受けて直ちにFDAに対して緊急の認可を申請、12月中旬に正式許可が出るとすぐさま出荷がはじまった。ということは治験の結果が出るまえからすでに生産拠点を整備し、数千万人分のワクチンの製造を開始し、冷凍品のワクチンの輸送態勢を整備していた事になる。通常は数年かかるワクチン製造を1年以内に終えるために開発、生産、治験の体制を同時並行で進めたところに成功の第二の決め手があった。Science will winをキャッチフレーズとする企業が成功したことは素直に喜ばしい。ワクチンのデータを狙ったサイバー攻撃を避けるためデータ管理は厳格を極め、FDAへの提出はオンラインでなくワードディスク持参で行なわれた。
 感動的な話だが、これはあくまでファイザーの側の物語だ。Biontechの側の登場人物は限られ、mRNAワクチンの基礎研究に費やされた20年以上の苦労には言及が無い。これからさらに大きな物語が綴られ、書物や映画の形で見られる事になるだろう。楽しみな事だ。

www.youtube.com

*1:アポロ計画のスタッフでアポロ13号の生還を指揮したジーンクランツの台詞で有名になった

*2:アルツハイマー征服」にも似たシーンが出てくる