体験授業

 子供の学校の文化祭で先生による体験授業が行われたので参加した。科目は数学。中三担当のS先生が講義をしてくださった。課題は法科大学院の入試問題を解く!というふれこみだ。なぜ法科大学院で数学?と思ったが実は論理学の基礎概念を学ぶのが目的だ。

この学校は中高一貫の男子校なので高校生の生徒がスタッフでついている。授業の前後は必ず瞑目といって目を閉じて気持ちの切り替えをはかるそうだ。体験授業でも瞑目の音頭をクラス委員(?)の生徒がつとめてくれた。目をつぶると20秒あまりだが気持ちが落ち着き確かに集中力が高まるようだ。目を開くと教壇に先生が立っておられた。

 法科大学院で論理学が重視されるというお話の後でさっそく問題が出される。

親子の会話
父「本を読まないとえらくなれないぞ。」
子「そんなのウソだ。お父さんはいつも本を読んでいるのに全然えらくないじゃないか。」

 問題はこの会話の意味を解釈する答えを5つの例から選ぶ。先生の解説は見事でこれは「本を読む」と言う事象と「えらくなる」という事象の関係性をベン図で示して解説してくださった。

 この図でいうと父親が指摘しているのは緑の部分。子が指摘しているのは紫の部分。いずれも「本を読む」と言う事象と「えらくなる」という事象の関係性については同じであるという説明だった。

 こんな調子で問題を解きながら最後の問題が難問だった。セルバンテスドンキホーテからとったという問題だ。

ドンキホーテの家来サンチョパンサはとうとう領主(?)の地位を手に入れた。しかしその国では王様の決めたやっかいな法律があったのだ。

 河をわたる橋の手前には裁判所と処刑台があった。法律によるとこの橋を渡ろうとするものはその目的を裁判所に申告するとされていた。申告が真実であれば通行は許されるが、もしウソであったなら即刻絞首刑に処されるという厳しい決まりでであった。

 ある日旅人が現れこう申告した。「私はここに絞首刑を受けに参りました。」

 さてサンチョはどう裁くべきだろうか?というのが問題だ。

 これは容易な判断はできない。

  1. 殺さない:旅人が真実を述べたとするならば無事な通行を許し、絞首刑の希望は叶わない。
  2. 殺す:「旅人は実は絞首刑になどなりたくないのだがウソをついている」と解する事ができる。その場合は心にもない事を言ったという理由で絞首刑に処する事ができるだろう。

私の解答はこちら

まず通行人すべてに対して裁判を受ける対象であるかどうかの審査を行う。法律は橋を渡ろうとするものすべてが裁判所に申告を義務づけるものとしている。ならば処刑台は橋のこちら側にあるので旅人は橋を渡る意志はないと解することができる。従って旅人は裁判の対象とはならずサンチョは橋の通行を認めずに旅人に立ち去る事を命ずればよく、処刑の必要はない。

これをベン図で示すとこうなる。

 裁判をうける人間だけではなく審理の対象とはならないものもいる(緑でも紫でもない部分)というところがポイントだ。

 授業の後で先生に「法律関係の方ですか?」と聞かれたがそんな事はない。しかし組織の決まり事を作っているとこんな事に気が回るようになるんだなーと虚しい感慨がよぎった。

 しかし勉強って楽しいものだと改めて思った。