原爆ドーム

 学会で広島にいた。会場は平和記念公園にある。初日の朝、海外からのゲストと話しながら会場に向かう橋の上から河の上流を見るとビル街に囲まれて、原爆ドームはあった。

 近代都市の中に残る廃墟、鉄骨のドームは骸骨のように見える。突然現れた光景に軽い衝撃を受けながら若いゲストの彼に説明をした。

 原爆ドームについてはこれまで見たことはあったはずだ。しかし実を言うとしっかりした記憶はない。関心が薄かったのか感受性が乏しかったのだろうか?

 プログラムの合間にドームのそばまで行く。きれいに整備された公園の中で、ドームが河面に映る光景は平和だった。

 しかし角度を変えると沈みつつある夕日を背景にした光景は不気味だ。

 平和祈念講演には数多くのモニュメントとメッセージがあったがどの言葉を持ってしてもこの廃墟が語る物を超える物はなかった。

 有名な「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という言葉には違和感があった。そう感じた原因はすでに多くの議論があるところだが、メッセージを発したのが過ちを犯した立場に立っていることだ。しかし連合国(アメリカ)が公式にそんなメッセージを出す訳もなく一体誰が加害者なのかがはっきりしないストレスを生む。私が見回った公園の中のモニュメントと碑文のほとんどは被爆の事実を悼む第三者の立場だった。核兵器で焼かれた事実を殺された側からストレートに訴えないところにこの街の複雑な事情を感じた。

 あの地区で唯一被害者側の立場を訴えるモニュメントが原爆ドームだ。朽ち果てるまで後世に残すべき物だと思う。