石阪春生展ーそしてあるべき鑑賞者について

ポスター等で目にして気になっていた展示会に行って来た。小磯良平画伯のお弟子さんだったという石川画伯の作品を小磯良平美術館にて展示するという企画だ。ポスターの印象が強かったのだが実際の作品を見たときにはそれほど印象は強くはなかった。単調だったのだ。なぜだろう?

 今回の感想を、先週見たローバート・キャパの作品展での印象に比べてみるとその理由は明白だ。作品自体にはそれは何かの物語を象徴するようなモチーフを元にしていようで、強い迫力はあるのだが、見る人(=わたし)にその物語が共有されていないので作家のメッセージが伝わらないのだ。小説の挿絵として提示されるとか、何か一連のテーマの元に提示されていたとしたら見る人が感じる物は違っていたと思う。

 キャパの作品の場合、被写体が戦時中の緊張感で、これからまさ前線に送り込まれたりする人々だということを受け手がすでに知っていることで「観る側の心構え」が自然と高まっていたのだと思う。

 私がキャパの最後の作品に感銘を受けたのはその撮影者は1時間後に地雷を踏んで死亡したことと、撮影された兵士達はまさに地雷原を行軍していたと言うことを意識させてくれるからだ。ポスターになった信号を送る船員の姿が粋なのも彼自身の死命を左右する重要な通信作業を確実に遂行するために体勢を安定させて取ったポーズに過ぎないーしかしだからこそー粋なポーズだったのだ、と思う。

 作品を展示する側には描く側に立ってどんな背景で書かれ、作者の伝えたかったメッセージとその意図を読み解くヒントを知らせてほしいと思う。そのことで美術館はもっと学術的な場に進歩できるだろう。