University of Barcelona

 ギリシャで行われた学会の後でバルセロナを訪問した。この大学にいるJCさんとMLさんを訪問。FC Barcelonaのスタジアムのすぐ脇にあるキャンパスで試合の時はさぞ騒がしいだろう。大学の駐車場が観客の車・バスで埋まるという。

 少し道に迷ったので電話してMLさんに迎えに来てもらう。MLさんはJCさんのかつての教え子で今は独立のプロジェクトを動かしている。このDepartmentにはJCさんの教え子やその他の研究者を併せてハエ関係でも8つぐらいのグループがある。サイズは様々で1人だけでやっている人もいれば数名程度のグループもある。しかしおおむね最低人数のグループで研究を展開している。さほど大きくはない研究室を共有しながら有機的なinteractionを保っていた。最近は改善したとはいえ他の欧米諸国と比べてまだ研究環境面で豊かだとは言えない状況において、緩やかな共同体をつくることで困難を乗り切ろうとしているようだ。

 スペインといえばあのAntonio Garcia-Bellidoにつながる系譜が才能豊かな人材を輩出してきた。そこに引き継がれるものが何かを知ることがこの訪問の目的のひとつだ。Antonioの孫弟子がすでに活躍している時代だが彼自身まだ優れた論文を出している(たとえば翅では近遠軸に沿って細胞が分裂することを示しそのシグナルを明らかにした仕事)。Antonioの直弟子だったMMさんに聞くとAntonioは学生と研究上のdiscussionをする際にはとても厳しく容赦なく追求されたそうだ。なのでAntonioに話しにいく時はとても緊張したそうだ。私もかつてAntonioが来日したときのセミナーをホストするという栄誉(!本当にそう思う)にあずかったのでその雰囲気はよくわかる。外交辞令は一切なしだった。この態度はAntonioの弟子達には良く引き継がれているようだ。

 もう一点気づいたのは彼らは古い文献を良く読む。原点に返って、生物学の歴史上のコンテクストに自分の研究を位置づけることを課しているようだ。わかっていても忙しさにかまけて文献に精通する事を怠ってしまいがちな自分を反省する。

 かねてから研究上のやりとりをしていた何人かの方とも話すことができた。驚いたのは脚の研究で優れた業績を挙げていたS.G-Cさんはもうハエをやっていなかったこと。腔腸動物の発生を始めたということでうれしそうに彼のクラゲを見せてくれた。またE.M-Bさんはかつては結構アクの強い、激しい人物だったがそれでも少しは丸くなったようでブルガリア人の学生がやっているイメージングの素晴らしい研究データを見せてくれた。

 体調を崩してCreteには行かなかったJCさんだが元気な顔を見せてくれ、セミナーでは丁寧な紹介をしてくれた。夕食はワールドカップでスペインーフランス戦の始まる9時からカタロニア料理を頂いた。サッカーは気にならないのかと聞いたがカタロニアは独自の言語を使用しており、スペイン自体とは心情的に距離感があるようだ。バスクのように独立運動までは行かないが、応援するのはスペイン代表ではなくやはりFC バルセロナだそうだ。夕食が終わって帰る頃には試合が終わり、はしゃぐフランス人を横目にスペイン(カタロニア?)人はおとなしく帰っていった。それでも街は騒然として身の危険を感じるほど。これがスペイン勝利だったら10倍にぎやかになっただろうと思うとちょっと怖かった。