ストレッチウインドジャケット

 自転車のジャージのポケットに収まり身体にフィットするウィンドブレーカーをさがしていたのだがモンベルで発見。もう一つ薄手のウルトラライトウインドジャケットと比較したがこちらはもっとコンパクトなのだがさすがに薄すぎて使用時期が限られるしフィット感もいまいち。そういうわけでストレッチーーーを即購入。本日早速使用してとてもいい感じだった。この季節の山登りライドには最適。不満をあげるともう少し色が明るいものを用意してほしい(私はシルバー)。女性用は色合いもベターなのだが丈が短すぎて自転車には使えない。同様の製品はパタゴニアでも作られているが高価すぎて手がでない。

評伝アインシュタイン

評伝 アインシュタイン (岩波現代文庫)

評伝 アインシュタイン (岩波現代文庫)

 アインシュタインと同時代の物理学者フィリップ・フランクによる評伝。アインシュタインが存命中の1947年に出版されたもので彼が1955年に76才でなくなる8年前に出された事になる。自らも理論物理学者であるフランクによりアインシュタインの学説が解説されているのだががやはり難しくかなり読み飛ばした。

 私の興味を引いたのはアインシュタイン相対性理論が世に認められるにしたがって学者だけではなく政治家、宗教家、そしてジャーナリストがこぞって彼の理論を我田引水的に解釈して時節を補強することに使い出すくだりだ。凡人の理解を超える学説なのでかえっていい加減な解釈がまかり通ったのだろう。最後にはナチによるユダヤ人追放の標的になり、ドイツをさることになる。学問的偉大さ故にユダヤ人にシンボルに奉られ、平和主義を唱える事で我が身の危険を招いたのだ。科学者を政治的に利用しようとする動きはどの時代にもある、現代でも心しないといけないだろう。研究だけではなく健全な社会観を養うことが求められるのだと思う。

 もう一点印象深かったのはアインシュタインの非戦・平和に対する態度の変遷だ。彼はドイツ時代平和主義のシンボル的存在だった。しかしナチが台頭してドイツを去ったのちにはベルギーの若者にドイツの侵略に対抗して立ち上がる事を勧めている。そしてアメリカに移ってからはルーズベルト大統領宛で原爆開発を提案する手紙を送って広島・長崎での使用に道を開いた*1。戦後は一転してエスカレートする核軍備競争にブレーキをかける立場になる。影響力の大きな人だけあって彼のアクションが極めて大きな結果につながるわけだ。このようにアインシュタインは時代背景によって意見を変えてきている。しかしその判断基準は彼なりには明確で、最悪の事態(ナチのヨーロッパ侵攻や核爆弾所有)を避けるためには次善の策として自説を変えることをいとわなかった。極めて現実的な判断のできるという点で教条的な平和主義者とは一線を画していた。しかし彼にしても核爆弾の破壊力とその後の軍拡競争は予想を超えていただろう。

 控えめで思慮深い理論科学者が、彼を取り巻いて踊る大衆と政治による国家と民族の争いのあり方を一変させた時代が19世紀前半だったのだ。

*1:彼はレオ・シラードらの用意した手紙にサインしただけだとも述べている