Hamburg

 巨大都市は樹木の一生に似ている。若木の時代は根から葉先まで全てが新鮮だ。しかし数百年の年月を重ねた巨木は葉先はみずみずしさを保ちながらも根や幹の一部は腐り始めている。歴史を重ねた大都市も幹や果実が腐ることを避けることはできないようだ。

 7/30にHamburgに入った。ドイツ第二の大都市で河口を控えたエルベ川に面した港湾都市だ。ここでは驚いた経験をした。まずハンブルグに向かう電車では騒がしく話す若者や、昼間からビールを飲んでいる連中が目につく。ハンブルグ中央駅に着くと、この大きな駅の反対側で人々の叫び声とカーキ色の制服を着た機動隊らしき集団が移動しているのが見えた。これはデモだなと直感してこの集団を避けるように動きながら地下鉄の駅を探す。しかしそのうちこの集団がこちらに向かって移動して来て地下鉄への進路を塞いでしまう。デモの参加者は少数で30−40人ほどの機動隊員に囲まれて姿も見えない。あたりにいた連中も騒ぎに乗ずるように集まり出すが一般の人々は落ち着いてこの集団の脇をすり抜けて歩いていく。どうやら何らかのスローガンを掲げた組織的なデモではなく不満を抱えてたむろしている連中が集まって騒いでいる程度のものらしい。しばらく様子を見ていたがデモ隊はそこに停止して収まりつつあるようだった。自分たちもそろそろ動こうとしてそこをすり抜けようとした所、大きな叫び声と共に、とっくみあいが始まる。いきなり暴れ出した男を機動隊員が取り押さえようとしたらしい。ガラス瓶が割れ人々も逃げ出す。私も子供と荷物を抱えて大あわてでホームに逆戻り。


 しばらく待って現場に戻るが何事もなかったように人々が歩いている。しかし歩道脇には機動隊員が残りあたりを警戒し、ガラス瓶の破片が先ほどの騒ぎの名残として残っている。結局そのまま宿に入ることができたが子供は怯えるしいきなり悪いイメージでスタートしてしまった。ホテルのフロントでこの話をしたら「それがどうしたの?」といった感じで取り合わない。どうやらこの程度の騒乱は日常茶飯事らしい。これが当たり前と思えてしまう日常感覚は困ったものだ。彼らの態度から学べるものがあるとしたら安全は与えられるものではなく、勝ち取るものだという認識だろう。

 この歴史ある大都市は貧富の差が大きく失業者が不満分子として集まっているのだろう。観光客を集める美しい城を構えた田舎の街も大都会の経済力に依存している。美しい田園と汚れた都市は表裏一体だ。

 ハンブルグはパリ、ロンドン、ニューヨークなどと同様に内部に病巣を抱えたまま成長をつづける巨木だ。樹冠の若葉も朽ち始めた幹に支えられている。それでもまだ100年以上は繁栄は続くのだろう. しかし都市が美しく、快適であり続けるためのいっそうの努力は必要だ、と思う。

 ましてや行政当局が民衆の不満を政治的圧力に利用したあげくに制御不能に陥ってしまうどこかの国の例では、都市の衰退をいたずらに早めてしまうのではないかと思ってしまう。

 こういった都市を見ると日本の治安の良さは抜きんでている、と改めて思う。日本の生活コストの高さは世界有数だがその裏返しとして安全を買っているとも言えるのだろう。