模倣と独創

 研究者には独創性が求められる。では独創性とは一体どうやったら身に付くのだろうか?「我が輩はゼロからの出発で独自の理論を立ちあげた」なんて主張の本のタイトルを見かける事がありますが、科学の世界ではそんな事はまずあり得ません。現代科学はアリストテレスの時代から2000年以上にわたって営々と築きあげられた知の基盤の上に成り立っています。これから生み出される新しいアイデアもこの枠組みの上に打ち立てられていくのです。研究は模倣から始まる、という考えをよく聞きます(例:柳田先生のブログ)。私もそう思います。模倣と独創のバランスと境目について思うことを4点に整理して見ました。

1)研究は真似からはじまる
 実験を始めるとき、まず参考にする論文があるでしょう。新しい研究の出発点になるものです。研究室の先輩の仕事かもしれませんし、海外の研究者のものかもしれません。その論文をよく読んでからおこなうことは結果の根幹に関わる結果を自前で再確認することでしょう。再現を目指すにはまず材料、方法をできる限り同一にして正確に実験しなければいけません。特に自分にとって初めての実験の場合、何がコツなのかもわからないので経験者に聞きながら慎重にしなければいけません。模倣に徹する事で成功の確率は高まります。自分にとって初めての実験をやるのに自己流にこだわって失敗する初学者を見てきました。無駄なプライドはこの際捨てるべきです。

 経験ある助言者を捜し、最適な助言を引き出す事のできる「聞き上手」を目指すべきです。

2)オリジナルデータは創造の母
 では独創はどこから始まるのでしょうか?二人の研究者が同じ実験をやったとしても得られる結果が同一であるとは限りません。しっかりした実験であれば結論の根幹は同じかもしれませんが一般的な実験データは論文に記載されている以上の情報を含んでいます。論文の結論に寄与するのはデータの一部で残りは触れられる事もなくただありのままに示されるだけです。それは電気泳動のバンドの一部であったり、組織染色像に写った変わった細胞であったりします。そういった一見してマイナーな所にこだわることで次の展開が開けてきたりします。データの解釈にこそ実験科学者が独創性を見いだす手がかりがあります。

 自分の眼と心でデータを吟味できる人にこそ独創の女神が舞い降りるはずです。

3)残り物にも福がある
 同じデータでも導かれる結論(解釈)が異なる事があります。そういったぶれは著者の予見、ひらめき、考え方のバックグラウンドなどに左右されます。そして実験が他の研究者によって追試され、発展するうちに確固とした見解に昇華して科学的知見として定着します。一方で主流となった考え方に取り残されたアイデアが後日再認識されてまた違う考え方の流れを生んだりします。
 教科書的な解釈に安住している科学者に未来はありません。主流となる考え方は十分尊重した上で、別の考え方があり得ないのか常に眼を光らせる態度が新しいアイデアの源となるでしょう。

 代案(Alternative)を常に用意できる柔軟さを持つべきです。

 以上終わり。さて明日から仕事だ!