ゆらぎとよろめき

ゆらぐ遺伝子、よろめく細胞。

 昨日の論文セミナーに触発されて考えてみた。

 生命は熱力学的ゆらぎを制御して高分子を配列することで細胞という精緻な機械を構築してきた。しかしゆらぎは完全に克服されたわけではない。近年では細胞の解析技術が進み、単一細胞の形態、運動、遺伝子発現を詳細に調べたデータがでてきた。するとこれまで同じだとされてきた細胞もそれぞれ異なる特性を持っていることがわかる。全く同一の状態を共有する細胞などないのだ。おそらく同種の細胞は一定の範囲内で様々な状態をとり得て、その状態の総和が細胞種の個性として定義できるのだろう。雲をつかむような話だが量子論における素粒子像に通ずるものがある。しかし多細胞生物の発生では多数の細胞がプログラムで予定された通りに振る舞うことが必要なので、個々の細胞の勝手な振る舞い(よろめき)を抑える仕掛けが重要になる。この問題の理解にはまずゆらぎの性質を理解することが大事だ。

セミナーで紹介があった論文はこれ。

Gene Regulation at the Single-Cell Level
Nitzan Rosenfeld, Jonathan W. Young, Uri Alon, Peter S. Swain, Michael B. Elowitz

 この仕事を含めた一連の仕事で著者たちは蛍光蛋白をレポーターとして遺伝子発現を単一細胞レベルでモニターする実験系を用いて遺伝子発現の変化を解析している。発現レベルは細胞の間でも、時間の経過によっても増減が認められ、遺伝子の発現は高度に揺らいでいると結論された。このゆらぎを解析すると遺伝子自身(おそらくプロモーター活性)のゆらぎと、外部からの影響によるゆらぎに分けることができ、それぞれのゆらぎに影響を与える様々な実験条件を検討することでゆらぎがどのようにして制御されうるかが考察されている。

考察

 様々な読みとり方ができる研究なのだが以下の2点を指摘しておく。

ゆらぎの克服
  1. Amplitudeを上げる
    • 彼らの観察データから言えるのは遺伝子発現のレベルが高いときにはゆらぎ(細胞間のバリエーション)は低下することだ。ならば細胞が一斉に同じ反応を示さなければいけない状況では鍵になる遺伝子を強いプロモーター活性で動かせば良い。大事な指令は大声で出しなさい、ということだ。直感的には当たり前の考えに実験的な裏付けが得られたということだ。
  2. 回路を作る
    • ゆらぎを安定させるためには安定化させる回路を組むのが工学的な発想だ。フィードバックやフィードフォワードのループがそれに相当する。彼らはまだこういった回路の解析はしめしてはいないが二倍体の酵母では相同の染色体座位におかれた二つの遺伝子は協調して発現することが示されている(対立遺伝子は同じ発現プロファイルを示す)。これはおそらく相同遺伝子間の対合による効果を見ているのだろう。二倍体にすることは単に遺伝子コピー数を二倍にするだけではなく遺伝子発現のゆらぎの克服にとって意味のあることだったのだろう。
ゆらぎの意味
  1. ゆらぎは生命にとってじゃまなものだったのだろうか?そうではなかろう。これはゲノムの適度な不安定性(複製の誤り)が進化の原動力になっていることからも明らかだ。逆に過度の安定性は発展の妨げになる。
  2. ではゆらぎは発生においてどのようにして利用されているのだろうか?発生においてサイコロを転がして特定の細胞を選び出すようなプロセスに使われている可能性はある。しかしまだ確たる証明はないように思う。
  3. ゆらぎを正しく把握する作業はまだ始まったばかりだ。そしてゆらぎによって細胞がよろめくことの生物学的意義付けがなされた時新しい生命観が生まれる可能性があるだろう。