日本国憲法制定に関するメモ

日本国憲法の誕生に詳しい。

  • 昭和20年 8月15日  敗戦
  • 8月30日 マッカーサー来日、GHQ設立。
  • 10月4日 マッカーサー近衛文麿に対し憲法改正案作成を依頼。一方幣原内閣においても松本烝治国務大臣を委員長とする憲法問題調査委員会を設置。二つの委員会で改訂作業が始まる。
  • 11月1日 米国世論の反応を見てマッカーサーは近衛の切り捨てを決定。松本らの改訂作業は続行。
  • 11月24日 内閣府廃止。近衛の憲法改正作業は打ち切り。
  • 12月6日 近衛文麿が戦犯指名される。
  • 12月15日 収監前夜、近衛は服毒自殺。
夫人は驚かなかった。 「友さん*1、やっぱりやりましたよ」。 冷静な声で隣室の牛場を呼んだ。
  • 昭和21年 2月1日 松本烝治らが継続していた憲法改正案のひとつが毎日新聞にスクープされる。この保守的な改正案を見たマッカーサーらはGHQの独断で改正案作成を決断。
  • 2月4日 憲法草案作成を民政局のアメリカ人25名に命令。憲法の専門家は一人もいなかった。
  • 2月13日 外務大臣官邸にて吉田茂外相らにGHQ案が提示される。日本側の改訂作業を無視した提案に日本側あわてる。
  • 2月22日 閣議にてGHQ案受け入れを決定。(日本側の修正を入れるとの了解があったようだ)
  • 3月7日 第一回極東会議*2
  • 3月4日 日本側修正案の提出。直ちにGHQ案とのすりあわせ作業が始まる。
  • 3月5日夕刻 GHQの再修正を受けた憲法草案が閣議で承認。天皇も了承。
  • 3月6日 改正憲法草案は日本政府案として公表され、GHQがそれを了承するというかたちで公開された。
  • 3月7日 第二回極東会議。改正憲法草案に対して激怒。しかし巻き返しはかなわなかった。
  • 4月10日 新選挙法のもとで衆議院総選挙が実施
  • 11月3日 日本国憲法の交付
  • 昭和22年 5月3日、「日本国憲法」が施行。

*1:近衛の腹心牛場友彦

*2:GHQの独走を防ぐために発足した、米・英・ソ連により日本の戦後処理を扱う機関。