白州次郎

白洲次郎 占領を背負った男

白洲次郎 占領を背負った男

 前から本屋の店頭で気になっていた本だが柏松堂随想にある書評を見て購入。吉田茂首相の腹心として敗戦処理と戦後の経済復興に活躍した人物の評伝。表紙の写真を見るだけで白州氏が魅力的な人物であったことはすぐわかる。この本のクライマックスは白州が立ち会った日本国憲法制定を巡る半年間である。白州が44才の時だった。アメリカの占領軍と日本政府の狭間で働いた白州を通じて、国益を賭けた折衝に中で何がなされたか、何が出来なかったか、そしてどうすれば良かったのかを考えさせてくれる。

 白州次郎は今の兵庫県三田藩の家臣の家に生まれ、明治維新の後に商人として成功した父に留学を許されて英国のケンブリッジ大学に学ぶ。莫大な仕送りを得て奔放に振る舞っていたようだ。まさに外遊である。かじれる脛があるときはかじればよい。良い国際経験を積んだようだ。
 実家が破産し帰国した後、海外経験を生かして貿易関係の仕事を始める。その間に学友牛場友彦を通じて近衛文麿元首相の知古をえて、近衛の側近として働くようになる。また妻正子の父、樺山愛輔の縁から吉田茂と知り合う。この二つの縁で白州次郎は戦後の終戦連絡事務局のスタッフとしてむかえられ、日本国憲法制定に関わることになる。敗戦からわずか半年間の間に国家の成り立ちを一転させる新憲法が制定され、日本の制度が一変した。この短い期間に何があったかを時系列をまとめておく日本国憲法制定に関するメモ - roadman2005の日記

 日本国憲法の草案はGHQの一部署である民政局の軍人、秘書、通訳など法律の専門家ではない人々の手によって、極秘裏に実質わずか1週間で作成された。この草案を2月13日に突きつけられた日本政府は呆然としながらも必死の修正作業を試みる。白州次郎はその折衝の直接の交渉役だった。しかし交渉の甲斐なく結局ほとんどの案を丸飲みのままで受け入れることになり、現在の日本国憲法が成立した。自国の憲法を自国民が作れない事は不本意な事で、占領軍が憲法作成に介入することは明白な国際法違反である。GHQはなぜこんなに急いで、強引なやり方を押しつけたのだろうか?そして日本政府はなぜ理不尽な要求をはねつけることが出来なかったのだろうか?

 マッカーサー率いるGHQは直ちに日本の全権を掌握した。疲れ切った国民からの抵抗はなく、軍隊・政府の要人は戦犯として裁判で裁くか、公職追放の処置を執った。彼らは日本をに自分たちの理想の国に仕立て上げようと考えた節がある*1。一方でGHQの独断専行を感じ取ったアメリカ政府と連合軍、特にソ連極東委員会を設立して日本の扱いを協議しようとした。GHQ極東委員会に先んじて日本をコントロールしようとして拙速とも言える憲法制定作業が進んだようだ。

 その中で敗戦処理内閣として成立した幣原内閣のメンバーも戦犯指定の刃を突きつけられての活動でGHQに押しまくられるだけで抵抗する力はなかった。その状況でGHQのメンバーに実りのない妥協案を持ちかける役を担った白州にとっては大変な作業だっただろう。何せ自分の一言一句が国の将来を左右するのだから。

 憲法草稿の作成作業はGHQ側の指示を和訳して内閣に届けるだけの作業だった。それも徹夜の突貫作業で行われ、即時に了解を求められるのだから大変だ。そしてこれは異常なほどのあわてぶりである。内閣はその拙速で理不尽な要求を受け入れるだけであった。私の疑問は内閣はなぜGHQ側がこんなにあわてふためいていたのかを分析していたのだろうか?極東委員会GHQをコントロールする立場であることを知っていたらそちらにもコンタクトして時間稼ぎをすることも出来たのではないだろうか?GHQ対応専従であった白州には無理な仕事で、米国本土からの情報ソースを別ルートから確保していれば内閣の状況判断は異なったのではないかと思われる。

 マッカーサーソ連が参加する極東委員会が関与したら日本に対する要求はより厳しいものになると示唆したそうだ。しかし日本政府はその意味を独自に分析する情報を持たなかった。力を失った敗戦国でも情報を確かに持っていれば白州を丸腰で折衝役に送り込む事なく交渉事を少しでも有利に運べたのではないかと思うと残念だ。

 しかしソ連の圧力により日本の南北分割が現実的な脅威であった当時の状況を考えると日本の政情を落ち着かせる事は最優先だったとも考えられる。戦前の体制にどっぷりつかった政府のスタッフは明治憲法を護持する事だけを考えて保守的な提案しか出来なかった。自主憲法制定をあの時点で試みていたら大幅に時間を浪費し、結果として諸外国のさらなる干渉を許した可能性がある。この認識が日本政府とGHQとの間でどれくらい共有されていたのだろうか?とても興味ある所だ。

 また外国に占領を許した国々を見ると日本が侵攻した中国、韓国のケース、そして現代のイラクのケースなど国家の尊厳を粉砕してしまったケースはもっと多い。客観的に見れば日本の権益は比較的良く守られたと言っても良いと私はおもう。それもソ連・中国に対する障壁としての価値があったからだが。

 ともかく国の存続を賭けた折衝に臨んで、国家の非情さを骨の髄まで味わった白州は戦後の時代を経済官僚、そして企業経営者として乗り切っていった。

 
 著者の北康利氏は兵庫県三田市郷土史を研究されているという。郷土への興味から生まれたユニークな個性の評伝を通じて現代日本の礎を築いた人々を知ることの出来る作品だ。

*1:これは現在もアフガニスタンイラクでも行われていることだ