やらされる

 うちに中三の息子が学校の行事について[・・・・・をやらされる]とよく言っている。息子の学校は伝統的な決まり事が多く、上半身裸で校庭をランニングとかトイレ掃除、共同募金に養護施設のお手伝いなどの行事が目白押しだ。おまけにどんなに大きな台風が来ても傘以外の雨具は禁止だとか鞄も規定のもの以外はだめとか細かく決まっている。そんな決まり事に嫌気がさす気持ちもわからないでもない。でも無理してもそんな経験をすることが彼らの人生の肥やしになるはずだ。
 しかしながら20才台の若者が何も悪びれずに「xxxをやらされる」などというと内心がっかりする。たぶん少年時代からの口癖なのかな、と思うのだがそんな受け身の表現が図らずして出てくるのは自分が受け身の人生を歩んでいる事を認めている事になる。
 自由を重んじる研究者社会の大学院生、研究者が受け身で仕事をしているとは思いたくはない、しかし人生のなかでは不本意な時期もあるだろう。でもその経験が次へのステップへの助走と考えれば積極的な意味があるはずだ。自分の不用意な発言で受け身の姿勢を表明してしまわないように、つらい経験からも有意義な事を学ぶプラス思考でいてほしい。