青木昌彦

 10月の「履歴書」は経済学者の青木昌彦氏。私はこの方の事を全く知らなかったのだが、梅田望夫さんが期待させるエントリーを書かれていて読むことにした。実は最初の数回分の記事を見て辟易とした。60年代の学生運動時代の武勇伝を聞かされてうんざりだったからだ。私が70年代安保の学生運動について知ったのが高校生の頃でそれがもう終焉を終え、その残党で最も過激な人々が連合赤軍事件で最も醜悪で狂気にまみれた姿をさらした時代だった。青木氏自身は学生運動を離れて学者になった事で成功したのだがそれを自己満足で美化するような物言いが気に障るのだ。なので青木氏がご自身の学生運動時代をどう総括するのかに注目した。
10/10 60年安保の終焉に際して。

 岸首相は自衛隊の動員まで考えたそうだが、ブントにはさらなる激烈な運動を組織する余力もなく、6月19日に安保条約は国会で自然承認された。岸首相はそれを持って退陣し、大衆運動は潮を引くように鎮まった。
 これでブントは「敗北」したと言うのが、ブントの「正統史」だ。だが他の見方もあり得る。このときを活気として、日本では正統、異端を問わず、前衛等神話は基本的に終焉し、他方では戦前のような国の形を復活させようと言う岸流の政治的選択にも未来はなくなった。ブントは思想的な使命を終えたのだ。

10/11 学生運動から離れるに際して。

 しかし私は、非現実的な革命のため、組織の建設を自己目的化すると言う間隔には全くなじめなかった。組織に運命共同体的な価値を見いだす言う思想は、あとの出来事が証明するように個々人に悲惨な結果さえもたらす。左翼の言葉だけの前衛等神話を壊す、と言うことに最大の熱意を持っていた私は、「その役目が終わればブントは分解しても仕方ない」という考えに次第に傾いていった。こうして私の「第一ベンチャー」は心の中で解散した。

10/12 方針転換。

 ・・・・清水は例の調子で「おまえらは敵前逃亡する気か!」と恫喝したが、もはや我々は昔の左翼とは違うので、「敵前線逃亡する」とあっさり応じた。・・・・

 彼らは後に革共同の中で凄惨な内ゲバを繰り広げる当事者となる。希有の才能の持ち主だっただけに、惜しいことだ。彼らには必要な時には、人生のリスタートを試みる勇気がかけていたのではないか。

 彼はその後理論経済学の大学院に進学する。

10/16 米国留学中の師ハーウィッツの業績を称える記事の最後に、

 ノーベル賞をまだもらっていないのはおかしい、と先ほどまで書いていたが、たった今日経の編集局から電話があり、ついに受賞の朗報。

10/19


60年代末、ベトナム戦争の泥沼に悩む米国での学生反乱を評して、

・・・・私が現在親しくしている学者には若い頃マルクスを勉強していた人が少なくない。マルクスの動態的社会観は、制度を考える学者にとって麻疹のようなものだったのだろうか。

 この言葉が彼の10年前の活動家時代の総括のようだ。理想と正義を叫んでも社会の秩序と力のバランスの元でしか最大限の公正に近づくことは出来ない。破壊ではなく建設的なやり方でベストではなくベターな状況に近づくことが合理的な選択だと言うことが青木氏が数理経済学から学んだ真理だったような気がする。