やっぱり車内での携帯使用はやめましょうよ

車内で携帯電話を使って通話をしてはいけない理由がわからなくなってきた - 頭ん中

 公共の場には実に様々な音が混在する。このエントリーの著者は携帯の会話があまり気にならないようなのだが私にはとても気になる。それは携帯電話に対する一方的な会話が聞く人の意識を浸食して不安定にさせるからだ。なぜだろう?電車の車内アナウンスなどは聞こえていても必要ないときは無視することができる。乗客同士の会話も耳に入っていても意識から外すことが可能だ。そして興味を引くときに限って聞き耳を立てて拝聴させてもらう。しかし携帯電話はだめなのだ。
 人は耳から入る音に対してまずそれが何を意味しているのか考えようとする。そして音(会話)の内容を分析してその音が警戒継続を要する信号ならば次の対応を考える。無視してよい信号ならば警戒を解除して意識から除外する。例えば車内でおじさんが大声を上げたとする。もしかしたら隣の人とトラブルが起きてけんかにつながるかもしれない。それを聞いたら仲裁に入るか、逃げ出すか、それともあえて無視するか、などの対応を考える。いずれにせよ無関心ではおられない。人の声とは聞く人に緊張感をもたらすものなのだ。しかし乗客同士の会話であればもう一方の人の受け答えを聞くことでたわいのない会話なのかの判断が瞬時につけられ、警戒解除モードに入ることができる。しかし携帯の会話の場合は相手の反応を聞くことができないためにそばで否応なく聞かされている第三者は警戒モードが持続させられてしまうのだ。これはたまらない。バスの運転手さんであれば注意力が奪われてしまいなおさら気になり、危険ですらある。だから公衆の場で携帯の会話はすべきでないのだ。

 このエントリーの著者とコメントを書いていた幾人かの人は携帯の会話が気にならないようだ。それは多分人によっては周囲への警戒度が低いのだろう(周りが気にならない、周囲の音を感じない)。こないだ電車の隣に若い男性が座っていた。彼が下車するときにペットボトルの水を座席に置き忘れていたのでドアからおりかけていた彼に声をかけたが全く気づかないままに去ってしまった。彼の視野には私が入っていたはずなのにも関わらずである。仕方なく私は向かいに座っていた乗客と苦笑いを交わした。こんな人たちは自分たちの身近に危険が迫っていても気がつかないんだろうなと思った。

 周囲の音と映像に注意を払うのは生き物としての人間が危険を察知して回避するための当然の反応なのだ。もしかしたらとってもありがたい幸運もつかめるかもしれない。そんな反応をかく乱する行為としての携帯使用は公共の場では控えるべきなのだと私は考えます。