真贋の鑑定

論文の信頼性に問題、遺伝子研究で生データなし…東大
 東大・産総研の多比良教授と川崎広明助手らのグループの論文に疑惑あり、という以前から噂にはあった問題についに東大当局が踏み込んだと言うニュース。当事者に追試を行って再現性を示すことを依頼して今年度内はその結果を待つという現時点では比較的寛大な処置だがよその研究室でも追試に成功していなかったと言うことでかなり旗色は悪そうだ。「実験を行ったことを証明する生データの存在を確認できない」という話に至っては開いた口がふさがらない。

 確かにNatureに出版されて、すぐさま撤回されたHES1の論文などはその場しのぎの苦しい弁明を繰り返して大変驚いたものだ。しかし直接関係している研究室でなければ実際に実験を繰り返して追試することは難しい、ましてや学生や一般人では真偽に疑問を挟むことはむずかしい。東大・産総研と研究費スポンサーにより事の真相が明らかにされ、しかるべき処置がなされることを期待する。

 ここでは角度を変えてこのようなインパクトは高いが、部外者が真偽を評価することが難しい科学的発見に接して我々がとるべき態度を考えてみる。

 評価に際して私が重要と考えるポイントは3つある。

  1. 他の研究室による追試がなされているか?その研究室から続報はあるか?
  2. その研究の結論は予想されていたものか?
  3. その研究室の研究レベルと信頼度は確かか?

1 論文を雑誌に載せるという事は実験データを再現性のとれる実験方法と共に記載し、科学的に筋道の立った、そして可能ならば魅力的なdiscussionと共にと共に報告することだ。しかし第一報はその成果を研究の専門家の批評にさらしてその評価を仰ぐということにすぎない。年月を経て多くの追試に耐えてこそ、その真価が確定する。
 私は世間をにぎわす研究であっても発表当初はすぐに自分の研究に取り入れることはあまりしない。2−3年待てばその著者や、周辺の研究者からのフォローアップがなされ、始めてその真価と位置づけが確定する。

 急ぐことはない、評価が定まるまでじっくり待てば良いのだ。
 
2 研究にはブームがある。新分野を開く新しい概念が登場するとゴールドラッシュのごとくこぞって多くの研究者が参入する。これは当然の事だ。しかし熱に浮かされて競争に参入すると金鉱を探す行為から逸脱して、掘り出したものがなんであれ金だと信じ込もうという心理が働く。
 imitation gold

 金鉱を期待する社会の中ではその期待を満たすニュースは受け入れられやすい。それは科学者の社会でも起こりうることなのだ。

 今回の事件はマイクロRNAという新しいフロンティアに接した研究社会の中で起きた。マイクロRNAが何か凄い事をやっていると主張する論文は、研究者の期待に応えるものとして比較的チェックが甘く審査されるのだろう。そうでなければHES1の失態ののちすぐさまNatureが同一著者による論文(今回の疑惑の対象)を受理するはずはない。

 結局の所、アメリカ大陸に巨大金鉱はなかった。しかしRNA研究が広大なフロンティアを開拓していることは紛れもない事実である。誠実に研究を行っている大多数の研究者が今回の事件に振り回されず、真に価値のある発見を目指して研究を続けられることを願っている。

3 研究室の信頼度は大切である。雑誌に出た論文を探すときまずタイトルと、そして著者リスト、所属を確認する。自分の研究分野に関してはこれまで研究をやってきた経験から信頼できる研究者・研究室の基準がある。判断の基準は論文の質、継続性、一貫性、質問・研究資料の請求に対する対応、そしてその研究室からしっかりした人材が輩出されているかをもとにしている。特に人材(大学院生)はその研究室の指導方針、研究方法、データの評価の仕方が継承される事が多いので参考になる。しっかりした研究室から出された論文はrespectをもって接することになる。だからといってデータを鵜呑みにすることはない。

 では無名のラボからの論文はどうだろう。一般にそのような論文の評価はより慎重になる。従って新しい研究室でのデビュー作は難産になることが多い。しかししっかり読み込めば誠実にしっかり行われた研究かどうかの判断はできる。研究は継続性と一貫性が信頼を生む。派手でなくともしっかりした論文を出し続けていくことで信頼を勝ち取ることができるはずだ。

 研究の信頼度をはかる尺度としてもう一点大事なのは個人的な信頼関係だ。研究者の人柄や発表の仕方、そして個人的なdiscussionの際に現れる科学観を知っていた上でその仕事が評価されると思って良い。

 もちろん何の面識もない人に論文が審査される事は多いのだが科学者の社会は狭いもの、その分野の顔見知りに審査される可能性は高いと思って良い。自分の研究を売り込みたければ海外に出かけて知り合いを増やすことは重要だ。

 ただしこれは「なれ合い」とは異なる事は断っておく。

 2に関して最後に述べておくと時流に乗らないオリジナルな研究(柳田先生による「はじめの科学」)は捏造を生む条件がそろいにくいものだと思う。より懐疑的な批判者が多いだけに説得材料をたくさん用意しなければいけないからだ。メインストリームになって走り出した「中盤の科学」に落とし穴が潜んでいる事は心して置かなくてはならない。