捏造:誰が裁く?

 科学論文のデータに再現性のないものがふくまれていたか?そのデータは故意に捏造されたものであったかどうかの判断は容易ではない。グレーゾーンが多く判断には証拠の収集と専門家による科学的判断が必要とされる。

 研究の内容に疑義が生じたときに対応できる主体としては3つが考えられる。

  1. 論文が出版された雑誌の編集部
  2. 雇用者である大学・研究機関
  3. 研究費の出資者、すなわち多くの場合は国家

1 雑誌のとれる方策は他の研究者からのクレームをうけて著者と話し合い、訂正や論文取り下げを促す事になる。あくまで論文一本ずつを対象にした作業になる。
2 雇用者がとりうる対応は組織の倫理規定に基づいて規定に違反した事実を精査し、組織で決められた手続きに従った処分をとる。これまでの例では人事、教育面での制限や学内の研究費、研究スペース配分でのペナルティなどがあるようだ。国の法律に違反したわけではないので解雇のケースは滅多にあり得ないだろう。
3 研究費の出資者に対して研究者は様々な法令に従って研究費を活用し研究成果を報告する義務を負う。違反があった場合には研究費の停止、返還などがあり得る。

 いずれにせよ研究者が科学的判断に立って事の真相を判断したのちにしかるべき管理者が処分の判断をするという手順になる。警察沙汰になると言う問題ではない。

 アメリカではNIHがOffice of Scientific Integrity (OSI)という機関を置いて研究倫理を遵守させるというシステムになっている。

 このOSIが暴走して科学界を揺るがした事件があった。いわゆるDavid Baltimoreの事件として知られる一件である。これはCellに掲載された論文の実験内容についてラストオーサーのTereza Imanishi-Kariのlabのポスドク(Margaret O'Toole:彼女はこの論文には参加していない)からの告発をうけてOSIが乗りだし、FBIを巻き込んだ捜査に進展した。共著者だったDavid BaltimoreはImanishi-Kariを支持し国会での公聴会まで行われた。結局再審査されて捏造行為はなかったと判断されるのは1996までかかることになった。

 私は事件が明るみになった当時アメリカにいてラボのみんなが熱く議論を交わしている現場にいた。おおむね科学者は科学の現場に公権力が土足で踏み込む行為に嫌悪感を抱いておりBaltimoreが呼ばれた公聴会には大物科学者が顔をそろえてBaltimore支持の意思表示を行った。ただしその後の展開には時間がかかりすぎ、1996年にImanishi-Kari復権するころには大衆の興味も冷めていた。

 この事件についての解説はこの本に詳しい。
The Baltimore Case: A Trial of Politics, Science, and Character
抄録と解説はここ:A Review of The Baltimore Case

 この事件の発端は研究室内のPIとポスドクの諍いにあったようで、それにOSIが過剰に反応して科学者の問題に公権力が絡んできて大きな問題に発展したことだ。


大事な教訓は科学の問題はあくまで科学者が真相究明をはかること。そして社会から見て納得のいく説明と処置を行うことだ。


 今回の東大の問題は日本RNA学会が12本の論文に関して重大な疑問ありとして東大に真相解明を申し出て調査が始まった。専門家からの疑義をうけて大学当局が動いたということで真相究明の流れとしては望ましいものと思う。これが新聞に先にリークされてネガティブキャンペーンが張られてからであったら大学が求めている「再実験して結果を報告させる」というしかし慎重な決定は難しかったかもしれない。東大当局には時間をかけても厳正な判断と処置をのぞむ。