真実の代償

 自分の研究指導者が研究データを捏造していることを発見したら科学者はどう対処すべきか?事を荒立てずに誤ったデータを真実と主張する行為に荷担して平穏に学位を得て静かに研究室を去るのか、それとも真実に殉じて告発するのか。Scienceの9月1日号の記事はこのような難しい問題の一例を告発した側からの取材を元に取り上げた大変優れたレポートだ。

Science 1 September 2006:Vol. 313. pp. 1222 - 1226

SCIENTIFIC MISCONDUCT:Truth and Consequences
Jennifer Couzin

MADISON, WISCONSIN--After making the difficult decision to turn in their adviser for scientific misconduct, a group of graduate students is trying to recover from the resulting damage to their careers.

事のあらまし

 ある研究室の大学院生が自分の指導教官が研究費の申請に偽造されたデータを使っていた事に気がついた。別のメンバーの出したデータがあきらかに誤った使われ方をされていただけではなくすでに発表されていたデータが未発表データとして含まれていた。その院生は他の院生と相談を取り合い教授の行いが誤っていることを確認しあった後に一名の学生が直接談判して誤りを指摘した。教授は単なるミステークだったとの説明をしたが、間違いは修正されなかった。そこで学生達は研究科の教授に問題を指摘して大学は調査委員会を設けて事実関係の検討を始めた。その調査のさなかに当の教授は辞職してしまう。告発した大学院生達は学位論文のプロジェクトのさなかに取り残された。三名は大学院を止め、二名は新しいプロジェクトをやり直し、一名は他大学院に移った。誰もが苦い思いを味わったが過ちは正された。

学生の立場から

 学生は研究室(指導者)を選ぶことが出来る。彼らは自ら選んだ指導者の元ですでに長い間(4年程度)を過ごし、学位取得を目指して邁進していた。しかし研究室から発表された結果を元にしたプロジェクトがなぜかうまくいかない(再現性がない?)事に気づいていた者がいた。研究費の申請書に含まれたデータに明らかな誤りがあることについては関連した者の意見はすぐ一致したようだ。しかしそれを教授本人に指摘すること、そして大学当局に指摘することには大変な逡巡があった。
 当然である。教授の不興を買うことは指導を中断されたり学位取得に響く。更に大事なのが学生の生活費は教授の研究費から支給されていたはずだ。その研究費の根幹に関わるデータの不備は自分たちの給与が切られることを意味する。教授と一蓮托生で偽造データに自分たちの将来を託してひたすら問題が明るみに出ない事を祈るという選択肢は現実的なものだったろう。
 一方でデータ偽造が明るみに出て、自分がそれに荷担していた事が明るみにでれば研究者としての将来は閉ざされる。ましてや部下が勝手に偽造した、との主張が通れば自分だけが切り捨てられる可能性もある。彼らは秘密を共有したときから問題を隠し通せるとは思えなかったのだろう。
 そして彼らは全員が意思を統一するまで待ってから告発に踏み切った。

指導者の立場から

 教授の側からのコメントは一切ないので推測するしかない。この教授は大学でも期待されたホープで高評価の仕事を連発していた。前向きの思考でメンバーを積極的に引っ張る指導者だった。ただしデータを好意的に解する余りに飛躍した結論に固執する事もあったかもしれない。公表された論文のいくつかはデータの信憑性に疑念が示されてはいるが、積極的な捏造行為があったかどうかは不明で掲載雑誌にて調査が進められている。あくまで私の推定だが単に「フライング」で性急に出した結論が論文審査に通ってしまっただけということかもしれない。しかしその結論にもとづいてさらなる実験をすすめれば矛盾は拡大しかねない。本人は気づくはずだ。論文撤回とまでは行かずとも問題を認めた上で地味ながらも結論を修正した論文を報告するという方法があったはずだ。
 教授が全てを失う事に値する過失だったかどうかは調査委員会の報告を待たなくてはならない。しかし告発した学生達当人も教授に"second chance"を得てほしいと願っていたらしい。

大学当局の立場から

 告発を受けて学部長クラスによって指揮される調査委員会が立ち上がった。調査委員会としては事実関係を収集する過程で学生、教授両者から話を聞いたはずだ。そして結論が出るまではどちらの言い分が正しいかの判断は出し得ない。また委員会に関わっていない教授達は正しい事実を知らないわけで学生達の言い分がどれほど信憑性があるかについて慎重だった人は多かっただろう。学生をサポートする人だけではなかったはずだ。

再び学生の立場から

 問題究明を担当していた教授は同時に学生のメンタルのケアを取った。彼らの給与を確保して実験が続けられる様にした。しかし指導者を失い、問題の多いテーマで研究を継続する事は困難だった。教授達が学生達の進行状況を聞き取り1名を除いてはそれまでのプロジェクトは破棄してやり直す事を提案した。それまでの時間と労力は無駄になったと言うことだ。またこのような事情であっても学位取得の要件を引き下げる処置はしないという決定でもあった。そこで3名は大学院を去る決断をした。残りの学生も新しいプロジェクトからやり直すことになった。それまでの苦労は水泡に帰した。

学生達の行動と大学の処置を検討する

  1. 問題意識を共有した。互いに連絡を取って客観的な判断をするようにつとめた。またラボの出身者とも相談してアドバイスを受けた。記録を取って残した。個人で悩みをため込まなかったことは精神的に彼らを支えたことだろう。これはアメリカ人らしい行動だと思う。
  2. 大学は学生の保護と指導を行った。十分であったかどうかが不明だが彼らが進路の決定を出来るまでは面倒を見たようだ。

この件から学べること

  1. 倫理観はボスとの関係に勝る。長期的に見ればそれが正しい事はあきらかだが追いつめられた状況で勇気ある判断をしたことは称えられるべきだ。学生の中には宗教的バックグラウンドからひときわ高い倫理観を持つものもいた事も影響したのだろう。
  2. 真実の代償は重い。関係者は全てラボを去った。ここまで重い結果になる前に問題を処置する手はなかったのだろうか?難しい。告発者をどう受け入れるかはとても難しい問題だ。少なくとも直ちに十分な保護を与える体制があることが必須だ。

最後に

 この記事を読み終わって阪大での事件が頭をよぎり暗澹たる気持ちになった。この事件も捏造が告発されて論文が撤回されたのだが調査が始まったさなかに告発した本人が研究室で毒をあおって死亡してしまった。捏造には関与していないと言われている彼がなぜ自殺しなくてはいけなかったのか?とてつもない重圧を感じたのではないかと想像されるのだが、なぜ彼一人で重圧を背負ったのか、告発した本人を保護する手だてがなかったのか、残念でならない。Kさんの冥福を祈ると共に真相と責任が明らかにされることを願って止まない。そして科学的真実に誠実である事の価値と責任を改めてかみしめることにする。