グレゴリー・ペレルマン

http://www.asahi.com/international/update/0822/019.html

 この人、ポアンカレ予想を証明するという数学上の大業績を成し遂げてフィールズ賞の受賞者に選ばれながらも受賞を固辞したという逸話で一躍有名になった。さらにロシアでの数学者としての職まで辞してしまって「引退」とメディアをさわがせている。一般には彼の変人ぶりばかりが伝えられ、彼のフィールズ賞辞退の真相は定かでない。彼自身のコメントによれば彼の業績が正しいことが認められるならばそのほかの報償は必要ない、とか言う話だ。本当だろうか?

 ペレルマンの研究と彼を取り巻く数学者達の反応に関する興味深い記事がThe New Yorkerに掲載されている。

The Clash Over the Poincaré Conjecture | The New Yorker

これはどうやらペレルマンフィールズ賞を辞退しているとの情報を非公式に(?)知った記者が6月頃にロシアでペレルマンにインタビューを行い、彼の業績とそれを取り巻く数学界の情勢についてまとめたものだ。ポアンカレ予想についても取っつきやすく書かれた優れた科学記事だ。

要点をまとめておく。
 幾何学の重要な課題であるポアンカレ予想は、この証明を研究することで宇宙空間の構造の理解も進むと言うことだそうだ。ポアンカレ予想は二次元、三次元と4次元以上の多次元の問題に分けて扱われる。四次元以上の空間については証明が完了したのだが、三次元空間についての証明が最後の残された難問だった。証明は一筋縄ではいかず、どういったアプローチが有効か試行錯誤が成されていた。

 20台のペレルマンがUC Berkeleyに留学中の頃、リチャード・ハミルトンはRicci flowと言う考え方で証明に近づく事ができる事を示していた。ペレルマンはハミルトンを師と崇めて何度も議論を交わしていた。しかしハミルトンのアプローチは問題があり1992年から証明は前進していなかった。1995年、ロシアに戻っていたペレルマンはハミルトンに手紙を書き彼の考え方を説明した(共同研究を期待していたらしい)。しかし返事は得られなかった。そこでペレルマンは独自にこの問題に取り組むことにした。

 一方でハミルトンの旧友で中国出身の数学者でフィールズ賞受賞者であるShing-Tung Yauは自分の学生達とハミルトンとを協力させてポアンカレ予想の解決を試みていた。

 2002年11月ペレルマンポアンカレ予想に関する最初の論文をarXiv.orgに投稿した。これはpeer reviewを伴う専門誌ではなくpreprint serverで草稿段階の論文と見なされる。結局ペレルマンはこの論文と、それに続く二報の論文をジャーナルには送らなかった。しかし彼の論文は専門家の注目を浴び、複数の研究グループの確認作業の末にどうやら正しい証明だと認識され始めた。2003年、彼はアメリカに招待され、いくつかのセミナーを行った。ペレルマンセミナーは好意的に(熱狂的に?)受け入れられた。その年にペレルマンポアンカレ予想の証明に当たる残り二報の論文を発表した。これでペレルマンの証明は確かなものとの評価は定まった。

 ペレルマンの競争相手だったハミルトンだが、ペレルマンが2003年に訪米した時に議論することを期待していたのだが、論文発表時にメールでコンタクトしていたにもかかわらずハミルトンと話す機会がほとんどなかった。この記事ではハミルトン(とおそらくYau)はペレルマンに対してとても冷淡だったような印象の書きぶりだ。更に今年になってYauの弟子達はペレルマンの論文公表後に,ポアンカレ予想を解いたとする論文を出版した。これはメディアでも報道されている。

http://www.asahi.com/international/jinmin/TKY200606050264.html

中国人数学者、難問「ポアンカレ予想」を証明
2006年06月05日

 広東省中山大学の朱熹平教授と米リーハイ大学の曹懐東教授による論文「ポアンカレ予想と幾何化予想の完全な証明:ハミルトン・ペレルマンのリッチ・フロー理論の応用」が、専門誌「The Asian Journal of Mathmatics」6月号に掲載された。両教授は米国の数学者ハミルトンとロシアの数学者ペレルマンの理論を用いて、世界的な数学の難問「ポアンカレ予想」を完全に証明した。

The New Yorkerの記事ではこの論文がペレルマンの業績を「難解で不完全」とした上でこの論文が最終的な証明であると(過大に)宣伝している、と嫌悪感を隠さず記している。

 本当だろうか?そこで原論文に当たってみた。内容を理解できるよしもないがアブストラクトを読んでたまげた。

Abstract. In this paper, we give a complete proof of the Poincarォe and the geometrization conjectures. This work depends on the accumulative works of many geometric analysts in the past thirty years. This proof should be considered as the crowning achievement of the Hamilton-Perelman theory of Ricci flow.

 すごい自信家だ。"This proof should be considered as the crowning achievement of the Hamilton-Perelman theory of Ricci flow."まともな科学論文ではこんな表現はしないものだ。これでは周囲が辟易するのも頷ける。


 この記事ではペレルマンがハミルトン、Yau, CAO, ZHUに対してどう論評したかは書いていない。ただし行間ににじみ出させようとしているのはポアンカレ予想を取り巻く功績争いと自己宣伝の嵐がナイーブな性格のペレルマンを萎縮させてしまったというストーリーだ。真相はわからないがこの謎の多い数学者がを取り巻く背景を理解するにはとても優れた読み物だ。