新聞の顔は

 昨夜「クライマーズ・ハイ」の再放送をちらりと見た。前編のハイライトは日航機墜落現場から記者が送った渾身のレポートを第一面からはずした上司と事故担当全権デスクの悠木和雅が対決するところだ。一面からはずされた理由は事故現場で懸命に活動する自衛官を取り上げたレポートが自衛隊を賛美するものと判断され、新聞社としては自衛隊肯定と取られる記事は前面には載せないと言う社主の方針だった。何という時代錯誤。

 しかし新聞の時代錯誤は現代でも変わらないようだ。

 社説は新聞の顔と言われる(たとえばここを参照)。なので新聞社を代表する最高の知性を担う論説委員が執筆するわけだ。社説はしばしば大学入試にも使われるくらいの優れた文章のお手本であるはずだと思っていた。しかしそうばかりではないらしい。

 安部新総理が誕生して所信方針演説をした。翌日の新聞各社はすぐさま演説内容を論評した。5社(読売、朝日、日経、毎日、産経)の社説(ここに各社へのリンクあり)を見る限りでは朝日が断然に貧弱で愕然とした。なんというか酔っぱらいがビール片手に難癖をつけているレベルの文章(口調)なのだ。自国の新しい首相が誕生してデビューを飾るべく練り上げた演説に対してである。内容が意に添わなければ演説内容を解析してその上で批判と反対意見を提示すれば良いのだがその様な建設的な内容は見られない。いくら朝日新聞は安部首相と浅からぬ怨恨があるとはいえ不興を新聞の顔である社説で表明する様な品性に欠ける真似はやめにしてもらいたい。反抗することに価値がある時代はとうに終わり新しい正当な価値を創出することがメディアに求められている。

 私は朝日新聞を読んで育った。ナイーブにも日本の良心を代表するメディアだと思っていたのだが最近のレベル低下は情けない限り。この新聞離れの時代に生き残るためには二つの道しかない。ひとつはひたすら読者に媚びること。もう一つは責任あるリベラルの立場を明確にすること。後者の道を取るしか朝日の生きる道はないだろう。