アリー・セリンジャー

 アムステルダム関空行きの便で隣に座った欧米紳士。あちらの人にしては体格は小柄で初老の彼と挨拶を交わし「お仕事ですか?」、などと尋ね合うと紳士は「私はバレボールの指導者で、日本でコーチをしていた」というではないか。精悍な風貌、鍛えられた体、鋭い眼光、ただ者ではない。もしかして実業団で監督をされていたのでは?と尋ねると「私はセリンジャーだ」と答えた。実の所最近はバレーボールの状況をあまり把握はしていなかった。日本は低迷し、ルールはころころ変わるし、テレビ放映は軽薄だし・・・。しかしダイエーを指導し、オランダナショナルチームの監督だったセリンジャー氏の名前は知っている。ポーランド生まれだそうだ。

 これ幸いと彼に尋ねてみた。「日本人選手の指導をするときどのような特質に気をつけるか?」と聞くと、「日本人は自分の意見を言わない。監督とのやりとりをキャプテンに任せて自分ではだまっている。私は選手が自分の意見を表明することを要求する。監督の指導が間違っていたら反論しなければいけない。自分たちで考えてプレーすることを要求する。」と答えた。うーん、当てはまるのはバレーボール選手だけではないようだ。日本にきた外国人はやはりそう感じるのだろうな。私もそうだ。

 帰宅後にセリンジャー氏のことを調べてみたら更にびっくり。ポーランドユダヤ人の家に生まれたがナチの弾圧で収容所に送られガス室送りの恐怖に耐えつつ飢える日々を送り、解放後はイスラエルでバレーボールの指導者として頭角を著し、アメリカ女子とオランダ男子の監督として二度のオリンピック銀メダルを獲得している。来日してダイエーの監督として震災の時期を挟んだ黄金時代を築き、パイオニアの監督としてチームをVリーグ優勝に導き今年勇退したばかりだとか。波乱万丈の人生だ。ただ者でないのは当たり前。

 今は監督を「休んでいる」と説明しまだまだ意欲は満載なようだ。日本ではご子息が指導する世界選手権の男子オランダチームを応援すると言っておられた。日本の監督時代ははっきりした発言で物議を醸したそうだが日本代表チームの選出に関して尋ねた時のお答えにその片鱗が伺われた。

 空港で握手をして別れた。まだまだ意欲の旺盛なセリンジャー氏は次にどのような手を打ってくるのだろうか。