渡邉恒雄

 ますますナベツネ節が快調。60年安保の頃、彼は政治記者として自民党の実力者大野伴睦にの事務所に出入りしていた。そのころの話で事務所を行き交う札束攻勢、大野氏の依頼を受けて自民党総裁衆院議長ポスト獲得の交渉に出向く、大野氏と中曽根靖弘氏との仲を取り持つ、果ては政治家のライターまで引き受けて週刊誌への論説の執筆まで引き受ける。まさに政治家の腰巾着としてうごきまわっていた日々が克明に*1記されている。渡邉氏はその様な日々を経てメディアの大立者の地位を築いた。不党不偏の立場を貫く、というメディアのスローガンなど信じてはいけないという渡邉氏自らのメッセージだ。

*1:恥ずか気もなく