鑑定主文

 岡江多紀のミステリー(1994)。精神鑑定が真実を糊塗するための方便に使われたり、被疑者の本心を解き明かせずに終わるエピソードが探る側(鑑定医)と探れる側(被疑者・患者)から入れ替わり立ち替わりつづられる。犯罪に関わる心理を覗こうとする使命感と好奇心は誰しもあることだが、心の闇を知るには高いハードルがある。心理学が神経科学と融合する時代が来るまでまだ時間はかかる。

 この作品を読んでいてこの事件を思い出した。ジャーナリストが好奇心と功名心に負けてこんな事しちゃぁいけませんよ。鑑定医が万全の自信を持って断定的に鑑定書を書ける事は滅多にないだろう。そんな鑑定書を勝手に公開して誤解を増幅させる事は許されない。

 人の心を読みとることは難しい。あくまでも真偽の判定が可能な事実にもとづいて判断を下す事が司法の基本だろう。精神鑑定に持ち込むことが法廷の戦略として乱用される事の危険を訴えるのが本書のポイントだ(10/8追記