吉村昭

島抜け

島抜け

 表題作の冒頭はこう始まる。

 天保一五年(1844)六月二日朝、大坂の町の一角にあわただしい人の動きが見られた。甲高い声が交差して路地や家々から人が飛び出し、道の両端に身を寄せ合って、道を行く一四挺の駕籠の列を好奇とおびえの目で見つめている。それはあきらかに囚人護送用の駕籠で、青編みがかけられ、両脇に同心がつき、棒を手にした小者たちも前後を固めていた。
 駕籠の中には、青細引で後ろ手に縛られた男たちの姿が青編みを通して見え、頭を垂れて居るものも居れば、家並みに視線をむけている者もいる。顔は青白く、頬がこけていた。

 この人の文章は硬質で第三者からの視点に徹している。のっけから時代の背景を簡潔に、効果的に描写して一気に緊張感を高めている。腕の立つ物書きだ。

 文体だけでなく話の構成もドキュメンタリー風を貫いている。この「島抜け」という話は種子島島流しにされた罪人がふとしたきっかけで島抜けを決行し、小舟で中国大陸までたどり着く。中国人の親切に助けられ、遭難者と身分を偽って長崎に戻されるのだがそこで身分の発覚を恐れ脱獄、各地を隠遁の旅を続けるが結局逮捕され、斬首されて話は終わる。主人公の瑞龍は50才近くの講談師で人格者として描かれている。読み手としては瑞龍が知略を尽くして脱獄を企てる話を期待しつつ読むのだが、出てくるのは無計画出行き当たりばったりの逃避行。幸運のみに助けられて長崎に帰国を果たす。そこで無事に逃げおおせるかと期待を持つのだが最後はあっさりと捕まり、処刑されて終わる。最初から盛り上げた冒頭の文章の緊張感とは正反対に余韻もなにもない淡泊な終末だ。その意味で何度も裏切ることで作者は現実の冷たさを伝えようと企みが企んだのかもしれない。