ジョン・F・ナッシュ

ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡

ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡

数学者ジョン・F・ナッシュの伝記。若くして偉大な業績をあげたが壮年期に精神病に陥る。大学をやめ、入退院を繰り返し、妻子とも別れたりと悲惨な40年間を過ごす。しかしそのうちに彼のゲーム理論純粋数学)が経済学に応用さ大きな成果を上げるようになってから評価が高まりついにノーベル経済学賞受賞となる。そんなナッシュの生涯の明暗をすべて描ききった大作。映画化もされている。ナッシュの話は今回初めて詳しく知ったのだが感動的な一冊だ。

 本書を読んで考えさせられたことをメモ。

  1. 精神の病。ナッシュは統合失調症だった。研究者としての絶頂期に発症し、妄想、奇妙な言動、行動などで周囲を困らせた。入院を繰り返し、薬物投与を受け、インスリン療法*1まで受けたが入院処置を拒むようになってからは母親、妹そして離婚した妻の世話になっていたそうだ。優れた数学者として育った息子も同じ病に陥ったので遺伝性のものだろう。発症の合間には優れた研究を行い、ノーベル賞受賞後には多くの講演会をこなしたそうなので回復しうる病であることは確かだ。しかし全快しうる病でもない。
  2. 学問的セレブリティの世界。ナッシュは数学的才能を認められプリンストン大学に大学院生として迎えられる。そこの高等研究所はアインシュタインオッペンハイマーなど知の巨人たちが主催する科学の頂点に位置する場所だった。本書の前半部は20世紀中盤までの学問の動向と数学者・物理学群像が生き生きと描かれており興味深い。
  3. エキセントリックな天才。ナッシュは自らを最高の天才だとを認め、他人に対しては傲然と振る舞った。何事においても一番でなくては気が済まず、多くの場合にその希望は満たされるのだがたまに人に先を越されたりした経験は深い傷になったらしい。人の好意を裏切り、雑誌に二重投稿した*2。私生活では婚外子をもうけてその扶養義務を放棄し、同性愛行為取り締まりのおとり捜査に引っかかり逮捕される。これ以外にも周囲を唖然とさせるエピソードは多い。
  4. 仲間はナッシュを見捨てなかった。才能豊かだがお騒がせ者のナッシュに対して大学では彼を支持する者と、組織の規律を乱す者として批判が混在していた。もともと個人の営みである数学の世界であったからこそ彼のわがままは受け入れられたのだろう。ナッシュが病める時も多くの仲間が*3救済の手を差し伸べた。病院から出てきたナッシュに講師のポストや奨学金を用意し、研究所への出入りを許した。何よりもナッシュの業績が認められるように数多くの人が推薦状を書いたに違いないのだ。おそらくそのような多くの人たちはナッシュの人格的な欠陥には、それが病気のせいだとしても、辟易としながらも偉大な業績を残した数学者としてのナッシュの才能には敬意を払ったのだろう。またプリンストン大学が「幽霊」と呼ばれたナッシュの出入りを許したのはそのような敬意からだけではなく、ゲーム理論の隆盛に伴って株価の上昇したノーベル賞候補者をおいておくことは大学にとってメリットあることという打算が働いたものとも思われる。
  5. ノーベル賞の舞台裏。ナッシュが受賞したノーベル賞選考委員会の裏話が語られる。おそらくナッシュの病が理由だろうが*4ゲーム理論への表彰自体に反対意見が出され、通常は全会一致が原則の委員会においてぎりぎりの投票結果で受賞がきまった。またノーベル賞の中でも他の物理、化学、医学生理学と比べて歴史の新しい経済学賞に対しては選考委員会においても偏見が残ることが伺われる。


 ナッシュのような天才が身近に現れたら自分はどう対処するだろうか?私自身はまず拒否反応が先行するだろうと思う。生物系では数学と違い経験の蓄積と興味の持続力が者をいうことが多く、比較的年齢を重ねてから成果が現れることが多い。そのような歳月を経た研究者は人格的にも優れているケースを多く見てきているからだ。また競争心過剰な研究者を敬遠する傾向が私にあるからだ。

 自分勝手で協調性のない人間というのは珍しいことではない。グループとしての協調が必要な生物学系のラボのメンバーとしては困り者だが、ナッシュのような凄い才能がいたら受け入れてその能力を伸ばすのも指導者の責任だろう。そこで真の才能と単に奇抜なことを言う人材とを区別しなくてはいけない。真の天才を発見したらある程度の犠牲を払ってもその能力を発揮させる覚悟を持て、が私に対する本書のメッセージだ。

*1:インシュリン注射によって低血糖で意識を低下させて精神をコントロールする試み

*2:これは科学者としての掟破り

*3:おそらくうんざりとはしながらも

*4:明言はされていない