米騒動に思う

 「汚染米」の流通経路に関した報道が相次いでいるがちょっと違うと違和感を感じる。そりゃ横流しして儲けた業者はけしからんだろうし、そんなお米をつかまされて信用を失う業者さんは気の毒だ。わかっていてその米製品を食べろと言われれば私は拒むだろう。しかしあとから「実は昨日コンビニで食べた弁当に輸入米がはいってました」と言われれば気分は悪くなるだろうが翌朝には忘れてしまう程度かと思う。ビールよりは安全と書いていた人がいたが、間接喫煙で被る影響よりも軽微ではなかろうか。
 で、そもそも何で政府は余らせた分の処理に困るほど米を輸入したのだろうか?私は詳しい事情を知らないが、そもそも食料自給がかなわない日本は海外からの食料品を安定供給を確保しなければ生きては行けない。米は自給率が高い方だろうが、それでもいったん不作になると米不足でパニックになるのだ。かつて海外から米を緊急輸入せざるを得なかった事を忘れてはいけない。

1993年米騒動 - Wikipedia

 お米のような主要作物は商慣習として困った時だけ買いあさるという性質のものではないだろう。継続的に取引の体制を作り、品質に信頼を置ける供給元を確保しておく事は国益にかなうことだ。政府がもてあましていた米はそのような由来のものであった気がする。だとしたらあの米は国も食料供給のリスク回避のための投資であったのだろう。「汚染米」の問題を批判する際にはリスク管理の問題をどう間上げるかの視点を忘れてはいけない。