Touching the Void

今日から日記を始めました。忘備録として日々の記録と気になったことの感想を書き残すことにします。

今日は朝から映画。Touching the Void(邦題:運命を分けたザイル http://unmei-zairu.com/)を見てきました。学生時代からクライミングを40才を過ぎるまでかじってきた私にとって原作の「死のクレバス」はクライミングを題材にした文学としては最高傑作に属する作品です。はじめは図書館で借りて、その後岩波書店から出版された文庫を何度も読んだものです。

死のクレバス―アンデス氷壁の遭難 (岩波現代文庫)

死のクレバス―アンデス氷壁の遭難 (岩波現代文庫)

ーーー映画・原作本をまだ見ていない人はここから読まないでくださいーーー

この話はアンデス氷壁の初登攀を成し遂げた後、下降中に起こった事故で片足骨折の重傷を負ったクライマーが生還するまでの実話です。けがをしたジョーがパートナーのサイモンのロープの助けを得て下降中に岩壁に宙づりになり、パートナーもろとも墜落、の危機に瀕したそのときサイモンがロープを切断してジョーはクレバスへ真っ逆さまに墜落します。奇跡的にクレバスの中間にある氷の棚に着地して一命をとりとめたジョーが切れたロープを見てナイフでの切断を悟るとき、クレバスからの脱出、氷河とモレーンを這って下る長い苦闘の時間、そして絶望の淵から仲間のキャンプにたどり着きサイモンと再会するまでと多くのクライマックスが描かれています。原作を読んだ時の印象はロープ切断の事実を知ったジョーの葛藤と、サイモンとの再会後に互いの信頼を取り戻す過程に重点が置かれていた印象がありました(私の関心がそこにあったのかもしれません)。

 映画を見ての印象はまた違いました。映像が主なのでジョーの行動が淡々と記されています。ジョーが生還するに至った3つのポイントが示されている、と思いました。
1)冷静さ。
 墜落後まずアイススクリューを打って自己確保するところ、サイモンの安否を確認しようとしたところ、彼がもしロープのもう一方に遺体でぶら下がっていたら彼を支点にしてクレバスから脱出できると考えたこと、などジョーがきわめて冷静に状況を判断していたことを示しています。また氷河の下降においても脱水症状と疲労で動かなくなる肉体を叱咤して前に進ませるもう一人に自分がいたことがジョーの言葉で語られます。雪山などでの長時間のクライミングでは出発前から脳内が覚醒して来る、という経験があります(私のようなヘボクライマーでも、です)。疲労を疲労として感じない様な状態です。経験あるクライマーはそのような覚醒状態をうまく作り出してコントロールすることができるのだろうと思います。ジョーはそれによって救われました。
2)行動し続けること。
 クレバスの入り口に登り返すとが不可能と悟った時、ジョーはクレバスの底へ向けて下降します。上から見下ろしたとき下は奈落がどこまで続くのかは判断できませんでした。ロープが届かなければ再び宙づりですがそのときはロープを下降器から抜いて落下できるようにロープの末端にはあえて結び目を作らずに降りたといいます。幸いロープはもう一段下の氷棚に届き、そこで氷河の外に続く出口を発見し、脱出に成功しました。座してじわじわと訪れる死を待つ代わりに、体力と気力があるうちにリスクを犯して行動を起こして活路を見いだしたわけです。これも冷静な判断のたまものでしょう。しかしクライマーにとって行動を止めること即ち死を意味するので、彼は単にクライマーの本能に従っただけかもしれません。
3)気力を持続させる工夫
 片足の効かない状態での氷河の下降は長く終わりの見えない苦行の連続でした。特に氷河の末端から続くモレーンのがれきの上は立って歩かなくてはならず氷河の上よりも前進の効率が悪くなります。ジョーはベースキャンプにたどり着くことをまず忘れることにしました。近くの岩などの目印まで20分でたどり着くという目標を立てて、それに集中することにしたのです。眼に見える所に目標を据えることで集中力を保つことに成功したのでしょう。次々に目標を移すことで彼は長い行程を気力を絶やすことなく進むことができたのだと思います。


映画はジョーとサイモン本人の語りと映像が交互に現れながら進行します。息をのむ現実のクライミングシーンと下手な演出のないクライマーの描写はこれまでの商業的な山岳映画(クリフハンガー、みたいな)とは一線を画すもので、本物のクライマーの支持をえていることも頷けます。山においても実社会においても生き抜く工夫と勇気を教えてくれる映画です。


追記:山岳サバイバルの実話として記憶に残るのはやはりトランゴタワーでの南裏氏の遭難と保科氏、木本氏による救助の記録でしょう。数年前にGreg Childの筆でClimbingに紹介されましたがそのとき翻訳のお手伝いをする機会がありました。この話は15年前のもはや伝説的な話ですがいつか本にしてほしいと思います。映画化されれば"Touching the Void"を超える名作になること請け合いです。私の持っていた「死のクレバス」は南裏さんの手にあるはずです。