Art of Feedom: : The Life and Climbs of Voytek Kurtyka

 

私が大学で山登りを始めたころは高山、冬期の登攀がもっとも価値あるクライミングとされていた。山岳雑誌ではアルプス、ヒマラヤ、アンデスなどの高峰登山のニュースが大々的に扱われ、日本の登山隊も毎シーズンのように遠征していた。その頃に特に目を引くニュースの主役にヴォイチェク・クルティカと言う耳慣れない名前があった。共産圏のポーランドから毎シーズンのように遠征を行い、6000m台の山で技術的に高度なロッククライミングを行い、8000m峰では軽量で速攻登山を毎年のように行っていた。彼のクライミングが抜きん出ていたのは常に新ルートを少人数で大胆に攻めて新しい高峰登山のスタイルを確立させた事だ。しかしそれ以上にあれだけ危険な登山を繰り返していたにも関わらず大きな事故もなく常にパートナーと共に生還した事だ。
 1980年代のポーランド登山界はヒマラヤの冬期登山を始めとして、数多くの厳しい高峰を制覇して来た。ヴォイチェクのパートナーだったイエジ・ククチカは史上二人目の8000m峰14座登頂者だがその過程で数多くのパートナーを失い、最後は自分の命も落とした。他のポーランド登山界のエースたちももことごとく山で遭難して一時期は人材が払底するほどだった。その中でひとり生き抜いたヴォイチェクは危険に対する感覚がひときわ鋭かったのだろう。彼は成功した登山以上に数多くの敗退を繰り返している。
 そんなヴォイチェクも40を越え、次第に高峰登山から5000m台のロッククライミングに移行する。またポーランドの岩場でも若者に交じってフリークライミングに精を出し46才のときには5.13bの新ルートを開拓し、13aをフリーソロしたという。70才の今でも精悍さは変らない。
 本書は彼が2016年のピオレドールの生涯表彰を受けるところで終る。何度もオファーを受けては断る事を繰り返していたそうだが、ヴォイチェクが受け取らないなら誰も表彰できないとの説得を受け入れたそうだ。表彰を受ける際に彼は会場に駆けつけたかつてのパートナーを檀上に招き一緒に受け取ったそうだ。パートナーを大事にした彼らしいエピソードだ。
 作者のBernadette McDonaldはカナダの山岳ライター。日本の登山家にも詳しく本書でも南裏健康、谷口けい、山野井泰史らの登山と文章が紹介されている。彼女の幅広い知識と筆力がヴォイチェクの生き方を魅力的に伝えてくれる。山好きなら読んで後悔しない素晴しい一冊。
(2017 10 18 Facebookより再掲)

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