瀬島龍三


幾山河―瀬島龍三回想録

重厚な本だ。昭和後期の政治で様々な役割を担い、山崎豊子さんの小説でも取り上げられた有名人。様々な重責を担って来た人だけに一方で批判も多い。その瀬島氏が傘寿(80才)を迎えた機会に自ら過去を振り返ってまとめた記録がこの本だ。大きく分けて太平洋戦争当時大本営に参謀として勤務した時代、シベリア抑留の11年間、商社(伊藤忠)での活躍、そして土光臨調などで行政改革と政権の調整役などに腕をふるった時代が語られている。本書を図書館で見つけたのだが、読む気になったのはざっと流して見たところ、各時代の記述の後にその時代を総括し分析している項があり単なる回顧録と異なるからだ。

 本書の圧巻はなんといっても太平洋戦争当時の大本営の記述。瀬島氏は明治44年(1911年)生まれなので昭和14年(1939年)12月に大本営に着任したのは27才の時だった。昭和16年当時の大本営の組織図が掲載されているが、陸士44期卒の瀬島氏は9期先輩の櫛田正夫中佐を補佐して作戦班(対南方、北方、支那)を統括していた。異例の抜擢といって良いだろう。参謀の役割は上層部で決定された方針に従って戦術とロジスティックスを立案することだ。瀬島氏は東京の大本営に詰めると共に頻繁に前線に赴き、前線と連絡調整していたそうだ。昭和20年に入ってからは特使としてモスクワまで赴き大使館に重要書類を届ける任務を担いシベリアを往復している。行動する参謀だった。

開戦に至るまでの経過を分析している。満州を手に入れた日本。そこに南から触手をのばす欧米列強、北にはロシア。当然中国は四分五裂で混乱。それを押さえるために南進するがアメリカの怒りを買い石油の供給を絶たれる。開戦直前の交渉は不調に終わったが、日本側の妥協案が弱すぎたのか、アメリカが扉を閉ざしたののだろうか。そのころすでにアメリカはロシアを組んで欧州とアジア両方で勝って双方を手中に納める計算をしていたのかもしれない。瀬島氏の書き方を読むと「日本は欧米列強、ソ連に追いつめられ開戦以外の選択肢を失った」と読める。それでもアメリカとは絶対に戦争を始めるべきではなかったのにその交渉ができなかった。根本的にはそこまで追いつめられざるを得なかった10年以上の外交の失敗だったのだろう。しかしこれは中国、米、露、英国、ドイツなどの情勢を総合して最善の判断をはじき出さなければならないとてつもなく難解な問題だ。最善の判断をとれなかった理由は政府と、陸軍、海軍に分かれた軍部との間での意思統一が図れなかった事と、国際情勢を分析して国家が生き残る最善の策を政府がとれなかったことが大きな原因として考えられる。

 もちろん瀬島氏の分析は大本営の一員として多くの兵士を、死地に送り込んだ命令に関わった当事者としての反省と自己の弁護を交えたものとして読まなくてはならない。上司の命令のもとで行動し、与えられた条件で最善を尽くそうとはしたのだろうが、不利な戦いを始めて、続行させた政府の意志決定に関わるところは上層部の決定としている。おそらく当時の瀬島氏の立場としては妥当なところだろうが、氏の責任に関わる部分の記述は巧みに避けている部分はあるだろう。その点を割り引いて考えても、氏の戦争に関する分析は当事者ならではの読み応えがある。

 戦時の記述に比べてその後の商社時代、臨調時代の記述は甘いと思う。これは瀬島氏の戦後の成功に関わる部分で、肯定的なものである事と、守秘義務によって明かせない事が多いことが原因なのだろう。田中角栄が派閥のメンバーをそろえて瀬島氏を招き行政改革に協力を誓うシーンが書かれているが、互いの腹の内はそんな素直なものではなく、相手をどのように取り込むかの熾烈な駆け引きがあったはず。そんな腹の底には触れられていない。はもう96才になる。墓場まで持っていく覚悟の数知れない逸話があるはずだ。昭和天皇の発言のようにどこかに書き残してあればいいのだが。

 私が瀬島氏の話を聞いて最も感銘を受けるのは彼がシベリア抑留の11年間過ごして帰国を果たしたのが44才の時だった事だ。仕事の上でも、家庭の上でも最も働き盛りで、生産的である時期を強制労働で無為に過ごした後もなお確固たる意志を維持して指導者として復帰した意志の保ち得たことは凄いことだ。


なお瀬島氏は2002年にフジテレビに出演している。笑福亭釣瓶と対談した南原清隆もいたのだが収録中ずっと凍り付いて一言も発さない。そのときの内容は本になっている。読んでみると内容は本書とほぼ同一で、「これは丸写しなのか?」と思った。しかしYoutubeに残されている放送を見ると出演中に瀬島氏が話している事は正確に12年前に書かれた本書の内容を反映している事がわかる。なので両方ともが瀬島氏の発言を正確に反映したものであることがわかる。92才にして矍鑠たる明晰な頭脳。恐るべし。
瀬島龍三 日本の証言―新・平成日本のよふけスペシャル