谷口ジローによる「神々の山嶺」

森田勝 (1937-1980)という登山家がいた。谷川岳で当時の最先端の登攀をこなし、ヨーロッパアルプスでも成果を出した人だ。しかし彼の名前はK2登山隊で第一次アタック隊に選ばれなかった事を良しとせず下山した逸話や、グランドジョラス単独登攀での事故と生還、再挑戦での転落死で知られ、向こう見ずな遭難が相次ぐ昭和の山事情を体現する人だった。彼の生涯は佐瀬稔著の伝記「狼は帰らず」でよく知られる。作家夢枕獏が「神々の山嶺」を出版したのが1997年。ベストセラーになった作品を読んだ感想は、これって「狼・・・」のパクりじゃねーの、と思うくらいふんだんに森田勝の逸話が使われてあきれたものだった。しかし後半にかけてエベレスト南西壁を冬季に単独で挑戦と言った栗城史多氏の斜め前を行く挑戦度てんこ盛りの設定でのオリジナルなストーリーに展開し、当時から漫画的な面白さを持つ作品だった。

 で、このコミック版である。夢枕獏氏の依頼を受けた作家 谷口ジロー氏が執筆し2003年に完成させた。谷口氏の重厚で繊細な画風は私の昔からの好みで、日本よりも海外でより高く評価されており、フランスの芸術文化勲章シュバリエ(三等)を受けている。存命だったらさらに高い栄誉を受けていたであろうと思うと残念である。パリのギャラリーを徘徊すると彼の作品の豪華本が売られていたり、谷口ジロー風と言うべき別人の作品が飾られていたりして彼の影響力は相当なものだと感じた。谷口ジローが描く男達は中高年の髭面で疲れていても硬い意思を持っている。

 谷口は登山者をテーマにした作品をそれまでも出版しており、本書に描かれる山の姿、登山者のフォーム、はリアルだ。様々な資料をあたって正確を記したのだろう。本書のテーマの一つにジョージマロリーの遺品と彼は登頂したのかという謎がある。二人の主人公、羽生丈治と深町誠はそれぞれマロリーの遺体と対面するがその姿は1999年に発見された遺体の写真にもとづいて正確に書かれている。本書のクライマックスは羽生と深町はそれぞれエベレストを南面からと北面から登頂するところだ。ほとんどセリフはなくひたすら歩き続ける登山者のシーンが続くが登頂は山頂から見下ろす反対面の風景で表現される。その光景はリアルであり、格好いいのである。森田勝に発した物語は佐瀬稔、夢枕獏の手を経て谷口ジローによって完成した。

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