古川純一氏

 ナンパ・ラという峠がヒマラヤ山中のネパール・チベット国境にある。ここでは先日越境しようとしたチベット人が中国兵によって射殺されるシーンが報道されて話題になった所だ。
Nangpa pass shootings in Tibet : 登攀工作員日記
虐殺映像を公開…中共軍がチベット難民狙撃の瞬間 東アジア黙示録 /ウェブリブログ

 「ラ」は峠の意味にチベット語なのだが古川純一氏によると足柄(あしがら)山の「ら」もチベット語由来の「峠」の意味なのだそうだ。こんな論説が今朝の日経新聞朝刊の文化欄に掲載された。

 古川純一氏の名前にピンと来るのはある程度年配の登山者だろう。谷川岳穂高岳で数多くの登攀を行って名高いクライマーだった人だ。彼の山行記は長らく私の本棚の一角を占めていた。そんな彼が地道な民俗学というべき仕事をライフワークとして本まで出版していたという。

古川 純一(よしかず)

1923年生まれ

戦時中海軍の研究所に勤務。この間航空ガソリンのオクタン価高上、電子顕微鏡、レーダー無反応塗料等の研究に従事。16歳より登山を始める。
1944年(昭和19年太刀洗航空隊に入隊
戦後1951年(昭和25年)横浜ベルニナ山岳会に入会
1958年 日本クライマーズクラブ(JCC)を創立
1959年 日本の超一流クライマー集団第二次RCCの創立に関わり、この同人となる。
1975年 第二次RCCが大人数となり、質の低下を問題とし奥山章と共に第二次RCC以上の名クライマーの集団約15名で日本初の「日本アルパインガイド協会」を当時33歳の橋本龍太郎氏を代表として発足、現在に至る。橋本氏と交友あり、現在相談役。
戦後地名に関心を持ち、書物を集め1976年から記録をとり執筆を始める。

横浜市在住

日本超古代地名解 古川 純一(著) - 彩流社 | 版元ドットコム

 こんな略歴を拝見すると戦中を若き航空兵として過ごした後に戦後の登山界をリードした人の一人だ。もう80才を越えた年齢ながら紙面で拝見する表情は精悍だ。そんな古川氏が取り組んでいるのは日本各地の山岳地域に残る地名を収集し、それらの由来をチベット語アイヌ語などの言語で読み解こうという試みだ。日本語の中にどのくらいアジアの言語が残っているのかはわからないのだが、かつてネパールでシェルパの家に一週間ほど御世話になったとき、そこの奥さんが鍋を持ち上げるかけ声が「ヨッコイショ!」だったことに驚いた記憶がある。なので古川氏による「日本山岳地名大陸起源説」にも耳を傾ける価値はあるものと思う。何よりも地名の起源を解き明かすために現地を歩いて長老の言葉を聞き、山を眺めて想像を巡らす作業に心躍らせる古川氏が探検とパイオニアの精神を持ち続けていることに感嘆するのだ。