Peter Lawrence

今日はイギリスMRC分子生物学研究所のPeter Lawrence博士の講演だった。ショウジョウバエの発生生物学の研究で名高い博士は科学と科学者のあり方についてのオピニオンを頻繁に発信されていることでも知られている。


 今回の講演はLawrence博士がご自分の科学者としてのキャリアを振り返りながら発見の瞬間の感動や、恩師や共同研究者との出会いを語るというものだ。その合間に科学はどうあるべきかという彼の意見が述べられた。普段我々が聞く科学研究成果の講演とは違い、サイエンティストはかくあるべし、という明確な意見を聞くことができ期待通りの大きな感銘を受けることができた。講演とその後の会話から聞くことができたLawrence博士の論旨は3点ある。これらを列挙した上で私の意見を述べることにする。


1) 科学者のトレーニングの出発点である大学院生は独立した研究者としてその立場と責任を尊重されるべきである。科学者は独自の考えの元に自己の責任において科学を追究すべきである。研究室の規模が大きくなると同じプロジェクトに複数の人間が参加する傾向が出てきて生産性は上がるかもしれないが責任が分散し、人材のトレーニングとしては不適当だ。

  • 独創性を育むための手段として自由な精神で科学に取り組める環境を整えるべきだという意見だ。私自身がそう感じて、実践してきたことだったので全く同感。Lawrence博士の周囲から真に独創性の高い研究者が多数輩出してきたことからも頷ける。この理想を保証する環境作りに向けて努力したい。
  • しかしこの一方で現実の社会では解決すべき問題が二つある。まず研究費のスポンサーである納税者の期待に応えるための成果を挙げていく必要があり、お金と規模があり研究所(研究室)では独創性と生産性とのバランスをとりながら仕事を進めなくてはいけない。また大学院生で、真に自由で独立した精神を持ち独創性に長けた人材なら若いうちから独立性を与えるべきだが、競争社会の中では独立できる環境を得られる少ない枠を競わなくてはいけない。また独立性を十分に活用できる責任を有する大学院生がどれくらいいるのか?結局は本人の器に従って獲得できる自由度は自ずから決まってくるのだろう。


2) 科学者は常に研究の現場にいてこそ発見の瞬間”Moment of discovery”に立ち会うことができる。

  • 講演ではJim Watsonが一人で核酸の分子模型を手に試行錯誤を重ねてDNAの構造を解く映画のシーンが示された。発見とは個人的な営みの中で個人的に見いだすものなのだ、と言うことがわかる象徴的なシーンだ。これを見るとつくづく生物学は個人の営みが生かせる分野だと思う。物理の素粒子学とか工学などではそうは行かない。100名以上のチームで行う製薬・加速器の研究ではいつ・何がわかったかはデータを整理する一握りの人々にはわかるが大多数のメンバーには論文出版まで不明だろう。


 "Moment of discovery"の感動を忘れずにいたいものである。

  • Lawrence博士の恩師であるWigglesworth教授は昆虫生理学の実験と論文執筆ばかりをして弟子の指導はしないどころか顔を合わすことも多くはなかったそうだ。師の背中を見て育て、という教えであろうか。しかし現代の科学研究の主宰者となると、壁に突き当たって困っているメンバーをさしおいて自分の研究ばかりするボスはありがたくは思われないだろう。それどころか教育義務の放棄と問題にされかねない。しかし研究の指導者として人を新しい発見に導くためには自らがその感覚をとぎすましておく必要がある。君が見つけないのなら私が先に見つけてしまうよ、といったプレッシャーのかけ方もありだと思う。


3) 科学者はリスクを背負って大きな目標のためにチャレンジすべきである。その例として蛋白質のX線構造解析に生涯をかけたM.F. Peruzを挙げていた。その後の会話ではショウジョウバエのbithoraxホメオティック遺伝子群の遺伝解析で先駆的業績をあげたE.B. Lewisの名も挙げていた。論文数も少なく時間のかかる地味な作業からでも大きな進歩をもたらすことができる、という例だ。

  • PeruzとLewisの例は共に彼らが自らの目的意識の元で行った研究だ。個人の興味に根ざした研究は末広がりに拡大する傾向がある。母集団が多く、能力が高ければ一握りの枝が大きな実を結ぶチャンスを得るのだろう。トップダウンの目的指向型の研究の弊害は最初に目的が設定されているので尻すぼみでvisionの拡大を阻みかねないと言うことだ。


Lawrence博士の考えは以下の論評にもうかがうことができる。

  1. The politics of publication. Nature. 2003 Mar 20;422(6929):259-61.
  2. A man for our season. Nature. 1997 Apr 24;386(6627):757-8.
  3. Rank injustice. Nature. 2002 Feb 21;415(6874):835-6.