Carrier Development

先日触れたがマイルスが通っていた(しかし退学した)ジュリアード音楽院は音楽家の名門校だ。ジャズ・クラシックを問わず高名な演奏家がジュリアード出身とはよく聞く話だ。


 実は私も音楽の名門校出身者と仕事をしたことがある。とは言っても音楽ではなくハエの仕事なのだが。


 私は学位を取ってすぐに渡米した。ボスのMattとひとしきりどんなテーマが良いか話したが彼はそのときどうしてもやりたいテーマがあり、情熱を込めてなんども議論したこともあり結局そのテーマをやることになった。そのテーマにすでに参加していたのが大学院生のGaryだった。彼とはすぐにうち解けていろいろ手分けしながら、助け合いながら実験を始めることになった。Garyは院生だが私より年長でほとんどボスのMattに近い年齢だった。なぜそんな年齢なのかは時間をかけて聞き出した。彼は最初音楽家を目指してボストンのバークリー音楽院http://www.berklee.edu/default.htmlに入学、クラシックギターの訓練をして卒業したそうだ。そのころすでに結婚していたらしくオレゴンに移ってそこでギター教師として過ごしたそうだ。しかし音楽で食っていくことに飽きたらしく大学の生物学部に入学。筋が良かったのか大学院に進学してコロラドに来て私と出会ったのだ。一度だけパーティーで彼のギターを聞かせてもらったがなかなかの演奏でしたよ。


 Garyは温厚な人柄で人を年齢ではなく経験と見識で判断できる人だった。私と三年間一緒に仕事をしたが分子生物の実験ではよく意見を求められた。一方アメリカの暮らしや人生経験では彼の豊富な体験がとても役に立った。Garyは学位を取ったのち免疫学の分野でポスドクをしてボストン近郊の大学に職を得た。今でも温厚な人柄は変わらないのだろう。


 Garyのようにいろいろ回り道をしてから研究の道に入る人は多い。だから私が27才でポスドクになった当時、Mattのラボのポスドク、院生の中で私は最年少だった。隣のラボには子育てを終わってから学問を始めた強者の女性もいたくらいだ。人生経験を積んだ研究者は多少のことには動じない落ち着きがある。ここにも価値観の多様さを重んじるアメリカの懐の深さを感じた。