暗黙知の次元:批判

暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫)

暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫)

宿題として残っていた「暗黙知の次元」を読み終わる*1。大変難解で、というか論理展開が追いにくく、文章もわかりにくいものが多い。これには訳者の高橋勇夫氏も手を焼いたと後書きに記しておられる。


 「暗黙知」とは何か?そして暗黙知を活用することで我々の「知」は深まるか?について考えてみた。

1. 暗黙知とは何か?

 ポラニーは我々の知的体系には科学的論理にもとづいて定式化された上で記載可能な部分と、言語では記載が困難だけれど我々が「知っている」部分に分けられるとした。前者は論文や教科書として伝達可能だが後者、人の人相の記述や職人の技などは一義的な記載は困難なので伝達は困難だ。後者は「暗黙知 (tacid knowledge)」と名付けられた。前者の一般的な知識的体系を「形式知」とよぶ人が後年でてきたがポランニー自身は使っていない。彼は暗黙知の扱いのみに専念している。


 暗黙知についてのまとめはここにも書かれている。


 言語で記載不能な知識を「知」として取り上げる事には問題がある。人の人相の記述、確かにこれは言語の及ばない高度な概念だ。しかし赤ん坊はまだ未熟な視覚のみならず聴覚、嗅覚、触覚を駆使して母親を同定する。自転車乗りの例にあげられる動作のコツは大事な事だが自転車よりも遙かに高度な運動能力を猫は持っている。「知」という概念は人類の高度な知的活動に限定されるよう定義されるべきである。


 また天才のひらめきを暗黙知に帰する言い方ができるかもしれないが、これは我々がSerendipityと呼んでいるものと大きな違いはない。


 記述不可能な「わからないもの」ものをまとめて「知」という積極的な意味づけをはかろうとする定義付けのやり方に根本的な問題がある。新しい概念を導入するために象徴的な言葉を作り出すことは有効な事だ。しかし定義づけにあいまいさ許せばその概念の定着はおぼつかない。

2. ポランニーはなぜ暗黙知を持ち出したのか?

 これを理解するために二つの歴史的背景を知ることが必要だ。

  1. 社会的背景:ポランニーは亡命ハンガリー人だったこと
  2. 個人的背景:科学者ポランニーはイギリスで物理化学の教授まで務めた後に社会科学に転じたこと


 マイケル・ポランニーはハンガリーに生まれ、医学と化学で博士号を得た。ユダヤ人だった彼は1933年に42才の時ナチスの迫害を受けて英国に亡命した。そこで物理化学の教授を務めた後に社会科学に転じた。


 本書の出版は1966年だと思われる。そのころ彼の母国ハンガリー共産主義に占拠され、科学は共産主義理論の達成に奉仕すべき存在として位置づけられていた。共産主義理論は人類の幸福を達成する唯一の完璧な理論であるというドグマの裏付けに旧共産圏の科学者は奉仕させられていたのだ。亡命ハンガリー人としての彼はこの流れに対抗する考えを打ち出すことに使命感をもって取り組んでいたと思われる。

共産主義への葛藤

 ポランニーが暗黙知を持ち出した大きな動機の一つは既存の理論(すなわち共産主義)では説明しきれない、もっと大きな問題、の存在を強調するためだったと思われる。このいきさつは本書の第一章’暗黙知’の冒頭や、第三章’探求者達の社会’133ページあたりに語られている。

生命への憧憬

 もう一つの動機は物理化学者としての彼が有していた生命観である。物理学者は物理化学の理論で説明しきれない生命現象の謎にとらわれてきた。古くはSchr?dingerの著作にさかのぼることができるだろう。


 ポランニーにとっての暗黙知とは生命の謎そのものと重なる。

  • 既存の理論=物理学法則
  • 暗黙知=生命現象に根ざす未知の法則


 しかしポランニーは生命法則が未解明な事を理由に、物理化学の次元を越えた法則があると仮定してしまった。これは誤りである。本書に書かれる彼の進化観も間違っており、最近米国をにぎわせているIntelligent Designの論争に通ずるものである。

3. 現代に暗黙知は必要か?

 現代には一部の国家に変質しながらも生き残っている例をのぞいて科学者が知力を尽くして論破すべき共産主義は生き残っていない。


 また生命の謎、脳活動の謎も細胞の働きとそれを支える物理化学の法則に基づく分子の活動をもって理解可能だ。この信念に支えられた科学者のみが現代の生命科学を推進させている。


 ポランニーを突き動かしたこういった動機はもはや現代には見あたらない。


 我々が目の当たりにしている広大な知的フロンティアを矮小な言葉で「理解不能」とひとくくりにする事が科学の進歩に利するとは私には思えない。

4. 結論

 「暗黙知」は真剣に問題の解決に挑む科学者にとってはもはや不要の概念だ。科学者は困難な問題も、正しい問題設定を行い、正しいアプローチさえとれば解決可能と信じ、研究室に戻って各自の課題に取り組むべきだ。


 このポランニーの著作には科学的発見が事実として受け入れられるプロセスを示した下りは現代にも通ずる秀逸な文章だ(106ページより)。しかし全体としてはその役割はすでに果たされており、我々が時間をかけて議論すべきものではないと思う。


 科学者は「暗黙知」をもてあそぶことは避けるのが無難だと思う。このトレンディーな言葉はビジネス指南書でもてはやされるに任せるべきだろう。

*1:日付が変わってからアップする予定が下書きをアップしてしまった。少し早いが修正版を掲載します