捏造騒動の教訓

 韓国のヒトクローンES細胞捏造はメディアや国家まで巻き込んでえらいことになった。この事件を教訓として関係者が学ぶべきことが明確になったことだろう。

論文発表の間違いをなくす方法はない

 今回のケースは「真っ赤な」嘘だった。著者は間違いのない完璧な論文を目指し、審査員は間違いを排する努力をすべきだ。しかし著者の意図しない実験データのミス、解釈の間違いなどを避けて通ることはできないし、論文審査で偽造を完璧に見破ることは不可能だ。なぜなら限られた専門家のボランティアによる書面上の審査には限界があるからだ。論文には嘘や意図しない間違いは付き物だという認識に改めなくてはいけない。

メディアと社会の受け取り方にも問題が多い

 優れた科学論文は新しい発見を報告することだ。今回のES騒動でメディアが騒いだのは新発見に対してではない。動物実験では作成可能性が示されていたクローン杯からのES細胞作成をヒトの細胞で、世界に先駆けて、成功したと報告したことに韓国国民は熱狂したのだ。一番乗りはうれしいものだが、科学的にみれは進歩の幅はさして大きくはないといって良い。

ではどうすれば良いのか?

 論文発表は一番乗りの目印ではある。しかしそれ以上に研究成果を公共の場に提供するという宣言でもある。論文には他の専門家が実験結果を再現できるように実験条件の詳細を明記しなければならないし、多くの専門誌は論文公表の条件に実験材料の提供を義務づけている。これは専門家であれば誰でも発表された結果を追試できるようにするためだ。競争の激しい分野の仕事なら世界中で何十という研究室が発表後瞬く間に追試を試みるだろう。レフェリーの審査よりも遙かに効率的な検証作業だ。

年月が評価してくれる

 つまり論文の審査は発表前だけではなく、発表後にこそもっとも厳しく行われる。だから発表したての成果に対して早まった評価は慎む方が無難だ。5年、10年後にこそその仕事の真の位置づけが明確になる。単に待つだけで良いのでこんな簡単なことはない。

 しかし残念ながら10年前の論文を見て現在の研究を評価するような面倒くさいことをする人が少ないことが今の問題だ。

 今回の騒動を機に研究成果の評価には時間がかかる、ということが教訓に残れば良いと思う。