アルベルト・ジャコメッティ

 自転車通勤路にあたる兵庫県立美術館はいつもチェックしている。なのでこの作家の特別展が始まったのは知っていた。彫刻と絵画が展示されていたが彼の芸術の真髄は彫刻だ。絵画とデッサンは彼が彫刻のモチーフをつかむための作業を観客の前に再現する手助けのための資料として展示されていると割り切るのがよい。四つのテーマに構成された展示はとてもわかりやすい。

第1章:「初期/キュビスムシュルレアリスムを経て」と題される展示は彼の少年期から青年期にかけての作品が展示される。題名通りに抽象化された彫像もあるのだが一番眼を引いたのは部屋の一番奥に置かれた「歩く女」と題された像だ。スムースでなめらかな面で構成され、過剰にまですらりとつくられた女性の下半身像。ファッションモデルのお手本のようだ。肉感を極力そぎ落としてはいるのだがわずかに隆起した臀部とか膝などにこの美しい姿勢を保つために動作している筋肉がしっかり把握されている事がわかる。360度いろいろな方向から見て楽しめる。


歩く女


第2章以降の彫像はスマートながらも細かく粘土で肉付けをされた複雑な面で構成されている。彼の制作スタイルが一変した事がよくわかる。


第3章はこの展示会のもう一つのテーマであるジャコメッティ矢内原伊作氏との交流を紹介している。1950年代にジャコメッティは哲学の研究のために留学していた矢内原氏に会うと互いに認め合ったのかよく歓談するようになり、デッサンのモデルになることを依頼する。矢内原氏が収集したデッサンは油絵から新聞の余白に至るまで様々なところに書き込まれ、ジャコメッティが矢内原氏と会っている間は常に筆を動かし続けていたようだ。彼の執着ぶりはそれだけにはとどまらず哲学の大学教官だった矢内原氏が夏休みを取れる時期には渡航費を払ってまで毎年フランスまで招待しモデルとなることを依頼したのだ。なぜそのモデルが矢内原氏でなくてはならなかったのか?矢内原氏の東洋人としての穏やかな微笑みがジャコメッティを引きつけたのか?知性にあふれる矢内原氏の風貌は彫りが深く日本人離れしていて私から見ても魅力にあふれている。謎の多い交流なのだがジャコメッティは少数のモデルを繰り返し使ったという。単に容姿だけではなく一流の人物からその内面の知性もつかもうとしたのだろう。そして長時間の制作作業の間モデルとの間で交わされる会話からも創作の手がかりをつかもうとしたのかもしれない。


 奇妙な事に残されたデッサンが膨大な数に及ぶのに彫像になると展示されていた石膏像二点だけだ。ジャコメッティはスランプに悩んでいたそうだ。膨大なデッサンの作業を通じて彼がスランプからのからの脱出の手がかりを探していたのかもしれない。しかし彫像に完成するまでの作品が少ないのは矢内原氏のモデルでは出口に到達できなかったのかもしれない。一方でもう一つの考え方はジャコメッティが矢内原氏との交流を楽しみにしすぎて、その状態を継続するために作品の完成を先延ばしにしたのではないか?と考えることもできる。いずれにせよ第三者の勝手な憶測に過ぎないのだがこのような想像をふくらませられるエピソードだ。


 モデルといえばジャコメッティ自身がアンリ・カルティエブレッソンモデルとなっている。モデルに執着する一流の彫刻家は彼自身が優れたモデルだった、ということだ。

この作品、大阪市立美術館「準備室」の収蔵品だ。大阪市が美術館設立を目指して収集を始めたのは良いが市の財政破綻で文字通り「お蔵入り」していたものらしい。このようなかたちで陽の目を見たことは幸いだ。