善き人のためのソナタ

善き人のためのソナタ

 またしても日経の「シネマ万華鏡」。

悪名高い旧東ドイツ国家保安省(シュタージ)の実態を余すところなく暴露している。
(中略)
 真っ向から忌まわしい過去と向き合い、改めて関し国家のおぞましさを突きつけた三十三才の新人監督フロリアン・ヘンケル・ドナースマルク。緊張感漂う重厚な演出が光る。ドイツ映画界は傑出した人材を生み出した。
(エッセイスト武部 好伸)

 前から予告編などを見て気になっていた映画だ。この単なる要約に近い紹介文に背中を押されてとうとう見に行ってきた。旧東ドイツでの国家警察による国民の監視、がテーマの映画なのだが前評判よりも実は監視者の心情の揺れが主題の極めて人間的なドラマだった。
 
以下ネタバレに注意。


 気づいた点をあげておく

  • 冒頭はシュタージにおける訓練生へ反体制派尋問法の講義のシーン。最近偶然にも尋問シーンが出てくるドラマを三本続けて見たのだがここでは尋問者の側から被疑者の見分け方、落とし方が冷酷に示されていては身の毛がよだつ。
  • 反国家的活動が疑われる劇作家ドライスマンと女優クリスタのカップルを監視するシュタージの局員ヴィースラーが二人の愛の生活を覗き見るうちに彼らを影から応援するシンパになってしまう。冷徹な監視者で尋問者であるヴィースラーの心の移り変わりが大事なポイントなのだが、なぜ彼がドライスマンとクリスタに共感するようになったかの過程が十分には描かれていなかったことが残念だ。ピアノ曲を聴くだけで改心したなんてあり得ないと思う。
  • 年代設定は1984年。ジョージ・オーウェルの小説1984を意識したのだろうか?その5年後にベルリンの壁が崩壊し東ドイツと共にシュタージも消滅する。当時私は在米中だったがドイツ人の友人が大騒ぎで喜んでいたことを思い出した。彼らにとっては1945年の敗戦後の東西分割を精算する真の建国だったのだろう。
  • 監視社会の怖さはかたちを変えて現代にも通じる。しかし監視者ヴィースラーは、監視されている事を知らないドライスマンに迫る危機を何度も防いでいた。ドライスマンは東ドイツ解放後に公文書館で自分が監視されていた当時の報告書を見て事実を隠蔽していた監視員HGW XX/7ことヴィースラーがいたことをつきとめた。ドライスマンはヴィースラーが広告の配達夫として生活している姿を発見するが遠目で見て立ち去る。数年後、作家活動を再開したドライスマンは冒頭でその作品をHGW XX/7に捧げて「影の守護神」への謝意を示す。相手に知られないかたちで好意を施し合う行為の美しさがこの映画のテーマだ。
  • シュタージ工作員を演じた主演のウルリッヒ・ミューエは旧東ドイツの出身。二年前にザクセン地方を訪れた時感じたのは旧東ドイツは素朴な人柄が多く残っている。年配な人に静かでシャイな人が多いのはかつての監視体制で身に付いた振る舞いなのかとも思った。
  • 邦題の「善き人のためのソナタ」は作品中の鍵になるピアノ曲の題名だ。ドイツ語では"sonate fur guten menschen"だったかな?。原題は"Das Leben der Anderen"(他人の生活)。今回は邦題の付け方のうまさが光った。

 ともあれ心に残る作品。観ることを勧める。