テロ

シーラッハによる法廷劇の戯曲。学校の道徳の課題に使われそうな「暴走トロッコ問題」では暴走する列車がそのままでは大人数の集団に突っ込む。線路を切り替えればその危険は回避できるが別の少数の鉄道職員を犠牲にする。車線切り替えに責任を負うものの判断を問うもので、命の価値を人数で計ってよいのかを考えさせる。
 この問題をテロリストにハイジャックされ、7万人が集まるサッカースタジアムに向かう旅客機を撃墜した空軍少佐に置き換えて、緻密な法廷劇で再構成したのがこの作品。命の価値は本当に無限大なのか、テロ発生時は平時か戦時か?、緊急避難処置としての撃墜は許されるか?、少佐の行為は憲法違反するか、政治と司法の無為が招く大惨事の回避を一人の軍人の責任に任せてよいのか?など様々な問題が提示される。最後に全く同一の事実認定に基づく有罪、無罪、二通りの判決が用意される。読みながらハイライトとメモをしまくった。短い戯曲だが随所に深い文章がちりばめられ、全く無駄な言葉がない。何度も言うけどこの作家は凄い人だ。

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ジョーカー

気持ちのよい映画ではない。

幼児虐待と精神病歴をもつ中年男が虐げられる。コメディアンとして認められたいという願望が叶わず、突発的に起きた事件をきっかけに社会に復讐をはじめた。彼の行為は不公平に不満を持つ市民のカタルシスを解放し暴動のシンボルになる。社会的弱者の理不尽な怒りはジョーカーがまとっていたピエロの化粧を旗印に解放され、大暴動に発展する。現実の世界ではフランスの騒乱は黄色いベストが象徴した。香港の反政府運動はマスクをつけた人々により過激な暴動に発展している。香港政府がマスクの着用を禁じたのは本人特定のためだけではなくマスクが反乱のシンボルになることを嫌ったためだったのではないだろうか。

 最後はジョーカーが監獄(精神病院?)に入れられるところで終わる。反逆のシンボルとなったジョーカーは反体制の民衆のシンボルであり続け、その後のバットマンのストーリーに続く。監獄に幽閉された悪のシンボルはハンニバルレクターにも通じる。単なる悪と暴力の映画ではなく、社会の底流にある怒りを具現化したところが世界的な指示を受けている理由だろう。

観たことを後悔はしない。

(追記)ジョーカー役のホアキン・フェニックスの演技は強烈だったがそれに加えて彼の肉体に注目。筋肉も脂肪も絞りに絞っているのに加えて肩や肋骨が変にゆがんで見える事で病的な印象を際立たせている。並大抵の努力であのような病んだ身体は作れないだろう。凄い。

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メッセンジャーバック修繕

オルトリーブのリュックを購入してから8-9年経つが生地も背負い紐も頑丈でまだまだ使える。このバッグは生地がしっかりしていて背中にプレトが入っていて背中にうまくフィットするので自転車で背負って走ってもとても楽である。ただし一つ問題がふたを閉めるベルクロテープが弱くしっかり密封できないこと。そこで改造を試みた。

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材料

50mm幅バックル。50mm幅の布テープ。モンベルで購入。

接着剤:セメダイン 超多用途 接着剤 スーパーX ブラック P20ml AX-035

 

やったこと

1.リュック背面に貼り付けて・縫い付けてあるベルクロの片方を外す。

2.その下に50mm幅のテープ(50cm)を貼り付ける。接着剤は布テープが吸収することを見越してはみ出すまでテープとリュックの生地にたっぷりつける。

3.テープを20cmくらいの長さで貼り付ける。手で圧着して一晩放置。重しをつける事も考えたが張り付いて汚くなることを恐れてそのままにした。

4.翌日、テープは安定してくっついており、バックルを装着して問題なく使用できた。とても快適でふたがいきなり開くこともなく大満足。

5.接着剤がはみ出しているが生地はすでに傷が入っており違和感ない。

6.こんなにうまくできるなら最初から改造すれば良かったよ。

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石屋川トラック事故

9月3日の朝。出勤しようと準備しているとサイレンの音が聞こえてくる。自転車で出かけるといつも通る交差点前に警官が立ち、封鎖・通行止めの処置をはじめていた。様子を見ると交差点には大破した乗用車が停止しており、歩道に2名うずくまった怪我人が介抱されている。通りがかったおじさんが「トラックが川に落ちている」と話している。現場の邪魔は出来ないのでそのまま迂回して職場に向かった。その後のニュースでは反対車線にはみ出したトラックが乗用車と衝突して川につっこんだと報道されていた。現場にいたる道は六甲山からの長い下りなのでブレーキが壊れて制御を失ったのだろう。

 現場は終日通行止めだったがその夜私が10時過ぎに通ったときにはきれいに片付けられ、石屋川の中にトラックの姿はなかった。この道は時々通るので事故の情況を想像しながら改めて走ってみた。六甲山のトンネルを出てケーブル駅を通過すると長い下り坂になる。鶴甲団地から神戸大工学部に至るまでの大きなカーブを越えると高羽の交差点に向かって長い直線の下り道になる。高羽町二丁目のY字路を左に曲がって現場に至る。このY 字路を曲がれたという事はトラックのコントロールがある程度出来ていたことになる。ここまでは通行量の多い道で両側は建物が建ち並ぶが現場の交差点からしばらくは左側の建物が途切れて石屋川と平行して走る。川とはいってもコンクリートと石垣で固められた水路である。現場の写真を見るとわかるがトラックは反対車線のガードレールにあたってからまっすぐに川に向かって突っ込んでいる。

 山道にはブレーキの制御を失ったトラックが突っ込んで停止できる場所が用意されていることがある。しかし住宅密集地の神戸市内でそのような場所はない。ここの下り道で周辺の住居が途切れるのは石屋川以外にはない。更に進むと山手幹線を渡り、国道二号線に合流するT字路で道は終わる。石屋川は天井川になっており現場をすぎるとトラックが走っていた道より高い位置となる。したがって川に突っ込める場所としてはピンポイントな位置で事故は起った。

 ここからは私の想像。長い下り坂のどこかでブレーキの制動を失ったトラックの運転手はハンドルさばきで車体をコントロールしつつどのように止まるかを計算していたのではないか。現場の道に詳しかったであろう運転手は交通量の多い山手幹線に至るまでにトラックをとめられる場所として石屋川を考えていた事だろう。そして突っ込める場所は極めて限られている事も。事故は乗用車と歩行者を巻き込んだ多重事故だったが死者はトラックのドライバーだけだった。この規模の事故としては損害の規模は小さい。現場の情況から見て取れるのは川への転落は偶然ではなくガードレールへの衝突の反動を利用して極めてわずかな隙間を縫って石屋川に向かって突入した運転手の技量だ。最後の数分間、運転手がなにを考えて行動したのかに想像を巡らせつつ彼の冥福を祈ります。

 

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上)現場の橋から六甲山側を見上げる。向こう側の横断歩道の先のガードレールが破壊されこちらに向かってタイヤ痕がまっすぐついている。下)海側を見下ろす。ガードレールから一直線に信号先の歩道を乗り越えて川に転落。

 

追記 (2019/09/17)

 新聞記事では現場に至るまでの暴走状態で縁石で減速しようとした形跡がある事。前輪がバーストしていた、また運転手は熊本在住の50台の方だとのことだ。

大型トラック前輪破裂後衝突か 神戸で多重事故8人死傷





 

 

自転車日記 Sprint

固定ギアに移行して46F/16R=2.875で通勤をこなしているがかなり慣れてきた。平坦、下りではギアが足りない感じもするのでギアを交換にBellatteに伺う。いま使っている車輪はスプロケ取り付け位置が左右非対称でネジの高い方(メイン)に固定ギアと逆回転防止用のロックリングを取り付け、反対の低い方にはフリーハブを取り付け、車輪をひっくり返して切り替える。いまは両方に16枚歯をつけているが固定ギアを14枚歯に交換した。帰路を流してみたが平地では46F/14R=3.286のギア比は重くなった感じはしない。さすがに自宅前の上り坂はきついが脚力トレーニングと割り切って我慢しよう。しかし信号停止の後のこぎ出しで要領が悪いとうまく踏み出せない事もあるので注意深く練習しよう。

 

追記 2019/09/17

   ギアが重いとケイデンス50-80くらい。踏み込むとフレームがいい感じにしなる。帰り道。2号線から石屋川沿いの登り。山手幹線まで6%。そこから若草幼稚園交差点まで8%。そこから10%。キツイぞ。足に来るがパワーがつきそうでいい感じ。

 

Free Solo

1970年9月。小学5年生だった私の家族は父の運転するDodge Dartヨセミテ国立公園に入った。メドウに人だかりが出来ている。望遠鏡を構えたおじさんに尋ねると「あそこに人がいる」と岩壁を指さす。望遠鏡を覗かせてもらってもどこに人がいるのかはわからなかった。その夜泊まったモーテルで見つけた新聞のには「岩壁の登頂に成功」との記事が一面にでかでかと掲載されていた。これがWallen HardingらによるEl CapitanのDawn Wall開拓だったことを知ったのは大学生になってからだった。

 1990年6月。ポスドクを終えた私はて帰国前にヨセミテで大学の山仲間と落ち合ってEl Capitanを目指した。荷揚げに手こずって深夜まで夜間登攀するなど要領が悪かったもののなんとか無事にNose routeから頂上を踏んだ。エルキャプははでっかいという実感で何日もかけて登った僕らにしたらワンデイやフリーで登るなど想像もつかない。

そのような大岩壁でもフリーソロで登るものがいつか必ず現れると思っていたが2017年6月に成功させたのはやはりこの人 アレックス・オノルドだった。ハーフドームのフリーソロを成功させていた彼がエルキャプを目指すのはある意味当然だったかもしれない。しかしこの登攀には更に二重の負荷がかかっていた。一つは大規模な映画撮影クルーが待機し全過程を撮影したこと。クルーはアレックスの気が向かない場合にはいつでもやめて良い、そしてロープを貸して下降を補助する事を保証していた。とは言っても気が進まなくなって中止することのハードルは高い。もう一つはガールフレンドが付き添っていたこと。アレックスが登攀の決行を彼女に言い出しかねているシーンがあった。アレックスは彼女の理解を得ることに苦慮しており、登攀に際しての決定を100%自分で決められた訳ではなかった事になる。

 案の定2016年秋のトライは付き添っていた彼女に見送られて出発したものの下部のスラブ帯で「フットホールドに確信がもてない」との理由で続行を断念した。雑念を払う事ができなかったのではないか。この頃、アレックスの相談に乗っていたフリーソロの先駆者ピーター・クロフトは撮影クルーの同行には難色を示していた。ピーターが有名になったフリールートのテストピース「アストロマン」のフリーソロはガールフレンドと喧嘩をした日だった。彼女を自分から切り離していないと集中力を保つのはむずかしいのではないだろうか。

 撮影クルーにとっても1度限りの登攀を撮影することは大きなストレスだっただろう。登攀の記録がそのまま墜落死の記録となる事も大いにあり得た訳だ。撮影者のジミー・チンはそのような結果であっても撮り切るつもりだったと述べている。

 そして決行の日。私も岩場の気分は多少はわかるので自分も一緒に登る気分で腹式呼吸に切り替えて手足に力を込めて画面を見た。アレックスの姿はゾーンに入りきって迷いがなく実にスムースな登りだった。失敗しなくて本当に良かったと思う。

 映像についてだがソロのシーンはBGMも切った方が良かったと思う。この映画の予告編(YouTubeで見る事ができる)ではenduro cornerを登るシーンが一瞬映るのだが岩場にこだまする自然音が背景音の中の静寂感が映像に一番マッチしていた。また時々入る荒い呼吸音。あれはリアルなのか?クライミングで本当に緊張する場面では腹腔に力が入るので呼吸は静かになると思う。ハーハーゼーゼーするのは簡単でスピードを稼ぐところやパワーを使う長いクラックのようなところに限られるのではないかな。

 また、アレックスの彼女、クライミングの経験が浅くロープ操作を誤って怪我をさせてしまったり、無理もない事だがソロに向かう彼の前で取り乱したりして、アレックスのような普通でない男とつきあうのには無理があるように思った。余計なお世話ですが。

 関連した映画のDawn Wallと比べても緊張感、映像の構成などで本作には圧倒的な強さがある。アカデミー賞委員会にも認められた事は喜ばしい。冒頭のクライミングシーンも美しい(Phenix5.13?)。

freesolo-jp.com