晴子情歌

晴子情歌 上

晴子情歌 上

 うーん、なんといっていいのやら。最近にない感動だ。

 ミステリー作家として名を馳せて「レディー・ジョーカー」でベストセラーを記録した高村薫の次作は純文学だった。
  波乱に満ちた女性の一生の話であり、昭和史の記録であり、庶民の生活誌であり、母に対する息子の複雑な感情の起伏であり、様々な要素を含めてしかも散漫にならず見事にまとめきった作品だ。高村薫氏がこれほど女性の感情、母に対する息子の感情を丁寧に書き上げるとは、意表をつかれた。しかし結局のところミステリー作家としての高村薫は大作家への道程へのステップでしかなかったということだ。

 昭和初期に東京で生まれのびのびと育った娘晴子が、母を亡くして父親の実家のある東北の寒村へ移り住む。そこから始まる絵に書いたような不幸の連続を晴子は遠洋漁業の漁船に乗っている息子へ延々と書きつづる。旧仮名遣いで書かれた手紙の文章は苦労を重ねた不幸な半生の自伝にフィルターをかけ、書き手の感情の起伏を覆い隠した淡々とした昭和の政治史と庶民生活の記録となっている。

 晴子の独白というかたちで不幸な一生の記録から生々しさを抜いて、淡々と聞き手(息子の彰之と読者)に伝えている。しかし一見して客観的な記述には語り手によって選択された話題に偏っている事でもある。率直に語られているような手紙にも語られていない事実が山ほど隠されている。別の経緯で彰之がそのひとつを知ることとなったくだりは晴子の人生にはまだまだ豊かなエピソードが隠されている事を暗示している。

 知的で洞察力にあふれた晴子による人間観察の記述が延々と続く。学校にも行けなかった娘が度重なる不幸にめげることもなく、なんでこんなに冷静で頭が良いの?と思うくらいだ。しかし市井に暮らす人々が寡黙にしかし知性豊かに社会を見つめてきた、それが日本の昭和という時代だったと言うのが作者のメッセージなのだと思う。晴子の観察眼が圧巻なのは彼女が初めて福澤家に奉公に出た日、一家の人々を一人づつ分析して、互いの関係を推し量る下りだ。胸のすくようなヒューマンウォッチングのお手本で痛快だ。

 晴子の自分自身の分析もうまく書けている。しかし彰之の描写、特に大学時代のものはちょっと違うのではないか、とも思う。高村薫が女性の描写に長けているというのはある意味で当たり前の事なのだが、これまで主に男性を主人公にしてきたの彼女の作品では異色であり意外な発見だった。彰之への最後の、短い手紙がとても良い。

 私は「新リア王」を読んでから「晴子情歌」を読んだので福澤家の人々の人物像と歴史が明かされる下りも面白かった。高村氏はすでに「新リア王」の構想を練った上で「晴子情歌」に詳細な伏線を貼っていたようだ。「新リア王」に続く第三作がどうなることか、楽しみな事だ。

 「晴子情歌」はベストセラーにはなりえない地味で長大な作品だ。しかし確実に支持者を集め、風化に耐えて、時が経ってからこそ評価が高まる一作だろう。