三島由紀夫

 三島由紀夫の名を初めて聞いたのは1969年秋のこと。父の仕事でシアトルに在住中、近所の日本人の奥さんから「三島由紀夫が亡くなったとお母さんに伝えてね」と伝言を頼まれたときだ。10歳の頃だった。三島が高名な作家であったことを知ったのは大学生になってからで、何冊か読んだがちょっと陰鬱で気持ち悪い作風という感じでそれまででだった。改めて読んでみようと思い立ったのは中条昌平氏の著作に感化されたからなのだ。

殉教 (新潮文庫)

殉教 (新潮文庫)

午後の曳航 (新潮文庫)

午後の曳航 (新潮文庫)

 「殉教」の短編集は珠玉だ。冒頭の「軽王子と衣通姫」。いきなり古文的な難解な文章で始まるがそこを少し我慢してストーリー展開をつかめばこの作品が古代の世界を借りた恋愛物であり、映画化も可能なメロドラマである事がわかる。しかし古典の凛々しさを保ち登場人物の心理描写も的確で短編の中に軸を無駄にせず非常にタイトな仕上げられている。amazonの書評でも評価の高い小品だ。「獅子」は男に振り回されて嘆き悲しむ女が、復讐に狂う恐ろしさを描いた作品だ。ひ弱な女が途中で残虐な獅子と化する転調の場面があるのだがそこでの挿話の入れ方が絶妙。「三熊野詣」は老学者と彼の内弟子兼女中の中年女性との旅行記。女性の側からの心理描写がおもしろおかしく、ほのぼのとした作品だ。

 この作品集は三島の死の直前に編まれたそうで彼自身が書くことになっていた後書きすら遺されていない。文面からは自決事件に至る彼の激しい感情の片鱗すら感じることはできない。

 三島の自決事件をどう捉えて良いのかこれまでわからなかったので、気になって調べてみるとYoutubeに三島を取り上げた動画がいくつも残されていた。

三島由紀夫 - 松本清張事件にせまる 5-1 - YouTube

写真集 三島由紀夫 '25~'70 (新潮文庫)

写真集 三島由紀夫 '25~'70 (新潮文庫)

 自衛隊での彼の演説シーンの動画は今回初めて見た。この番組と彼の写真集を見てつくづく思うのは三島が極めつけのナルシストだということ。ナルシストの演説は三島の信者に対しては有効だが自衛官の支持が少なかったのは当たり前である。大半の自衛官にとって三島は有名作家の一人、としての認識でかれの作品を読んでいた者がどれくらいいたのかは疑問だ。彼らは文学的美学によって動かされるのではなく、命令によって動く存在だ。有事の際には敵に対して立ち上がるだろうが三島の演説は見える敵を明示はしなかった。三島の美学に殉じて立ち上がるのは彼の崇拝者だけだった。かくして三島の演説はその場では支持を得ることなく自決に至る。しかしこれは彼に取っては筋書き通りだったのだろう。

 三島の行動は彼の才能の巨大さに比して情けないほど愚かな行為だった。三島の精緻な書きぶりの作品群の中に前触れを感じる事はできないのだが、日本の美を描いて賛美する行為と、自らの肉体を愛するナルシスが渾然一体として作家としての極致を極めた先の終結点があの行動だったという事実には暗澹とするのみだ。